Really Saying Something

他にバイク(VTR-F)日記とかTwitterのlikeまとめブログとかやってます。

本当のことは言わない

小さい頃から嘘をつくのが苦手で(嘘で得られる利益より嘘がばれた後のつらさの方がいや、というのが大きくて)、何か不都合なことや、言うとややこしいことになりそうなことは沈黙を守る癖がついた。そのことは以前にも書いた。

言葉が足りないことは嘘ではない - Really Saying Something

高校に入った頃、思ったことをそのまま口にしてみてもいいのでは?とふとなぜか思った。そう思った瞬間を今でもよく覚えている。結果、自分がいかにひどい、雑でデリカシーを欠く人間であるかが自分の言葉を通じてありありとわかり、私はそれらを表に出さないようにすべく、以前と同じく、自分の意見を表明しなくてよさそうなときにはなるべく沈黙を選択するようになった。

そうはいってももう社会というものと対峙しなくてはならなくなる年齢になってきていたし、関わる人々の数も増えていくので、うまく本音と建前を使い分けないといけない。本音を出せば失敗する。だから建前でなんとか穏便に切り抜ける。そうやって過ごした。本音を別の理由でデコレートして提示すればいいんでしょ、デコレーションの方しか見てないでしょ。そうやってひねくれた、ねじくれた人間になったという見方もできるし、火の粉をかぶらないように工夫することができたともいえる。いずれにしても私にとって「本来考えていること」は無用の長物だった。誰もそれを必要としていないのだから。

何回か、「きちんと何でも相手に話せるようにならねば人間として欠陥がある」といきなり性格の矯正を試みたこともあるし、とにかくなりふり構わず自分の欲求をストレートにぶつけないといけないときもあった。うまくいくときもあったし、うまくいかないこともあった。そのときの判断が何年か後に「結果としてはよかった」ということもあった。

自分だけが出せる解はないのだ、やることなすこと……というよりはベースの考え方が極端すぎるのだ、という一定の結論を得られるようになるまで、だいぶかかった。今でも「自分が本当に考えていると思っていること」に対していったいどう接するのが中庸で適切なのか、あんまりよくわかっていない。ある程度「普通」を身につけたと思うと、そうではなくならざるを得ない出来事がやってきて(年齢が年齢だけに仕事以外にいろいろあるのだよ)、大変めんどくさい。

己の意見表明の方法というものについて青臭く考えている間に、インターネットというものが発達して、情報をどの程度出せばいいのか、何を見せると何がわかるのか、を知るようになる。さらに、玉石混淆ではあっても、自衛のための知識が手に入る。ますます「自分の考えを適切な粒度で開示する」のが苦手になり、ついでにうまくもなった。苦心して適応したら逆にうまくなったのだから不思議なものだ。

そうやって適応を続けようとしてきた結果、周囲の人にも恵まれ、ふらっとお酒の勢いで言ってみたくなってぐだぐだと話したことを大人っぽく受け止めてさらっと流して笑ってくれる人たちもいて、大変楽になった。大人になるとはこういうことか、と思った。何かを言わずにいるよりは言い方を工夫して言った方がいいのだ、とまで信じられるようになった。

楽になった日々の中にときどき、何かの影がさす。そういうときに「本来考えていること」が無用の長物であることをふと思い出す。誰にも価値を与えないもの。本当のことは、家族にも、夫にも、誰にも言っていない。

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同僚ともちょくちょくこの話をするんだけど、「30代後半〜40代のオフィスカジュアル的な服装を探す」のが本当に大変だ。Tシャツにジーンズではさすがに微妙な気がする……と思いつつ、外出がないときはTシャツ・ジーンズ・スニーカー。さすがに外出があるときはそれなりに整えた格好にするが、それがどの程度しっくりいっているのか見当がつかない。

美容院やdマガジンで女性ファッション誌を読むこともあるけど、総じて取り上げられている服装の価格が高く感じる。本当にみんなこれくらいの値段のものを普段から着ているの? クリーニング代だってかかるでしょ?とついつい思ってしまう。

ユニクロなどのファストファッションのお店で済ませがちなので、今日用事があったついでに、新宿の百貨店を少し歩いてみた。おそらく私の年齢がターゲット層に入っているフロアの服は、良い悪いは抜きにして、私が着るとおそらく職場では浮いてしまうだろう、と思った。

たぶんブランドを観察する努力と、自分の体型や立ち位置を把握する能力、どっちも日々積み重ねないと養えないのだろうとは思う。思うけど、どうにもどちらも苦手なまま今の年齢まできてしまった。ひとつうまく合うブランドを見つけられれば通販に移行して楽になるらしいけど、そこに至るまでに相当な回数の試行錯誤があるのではないか。30代に入ったあたりにも迷ったけどそこから10年経ってまだ迷っている。

ころころと転がる石のように

神奈川で生まれ育ち、東京の会社に就職し、きっと一生家族を支えて生きていくのだろう、結婚もしないだろう、と思って31歳まで過ごした結果、なぜか結婚することになった。

5年ほど交際していた人(夫)は、私が結婚に踏み切るであろうタイミングをいろいろとはかっていたらしい。具体的には両親の離婚で、父と母両方をなんとかして看取るところまでやり遂げなければ、とずっと考えてきた私は「片手が空いた」と思った。それは率直に夫となる人にも伝えた。自分が置かれている家庭環境は包み隠さず話していたし、それで「結婚はしない」という結論になってもおかしくないという前提で淡々とお付き合いが続いていた。そこに良いチャンスが巡ってきたわけだ。私は「こういう状況で結婚を申し込まれたのであれば受けるのが漢(おとこ)だ」と決意し、婚姻届を提出するに至った。

夫は夫で、弱ってきた父(物故)の近くに住まねばという気持ちを持っていた。結婚を選ぶということは、そう遠くない未来に、生まれ育った関東圏を離れ、仕事を離れ、異文化に突入することと同義でもある。結婚を決意したときと大阪に引っ越すことに決まったとき、どっちが先だったかはすっかり忘れてしまったが、ここまで頑なに「実家を出ずに家族を支える」と思ってきた私の思い込みなんて実はたいしたことはなく、私の人生そこまで固執するほどの価値があるか?という問いに向き合った31〜32歳だった。仕事を辞めなければならない、つまり引っ越し後は無職、ということも「そんなに悪くないかなー」とまで前向きになれた。

前向きというよりは、もしかしたら、人生どこまで「思い通りにならず転がっていくのか」という実験でもあったように思う。さざれ石は巌にならずに、どこまで苔生さずにいられるのか。

32歳で大阪に移り住んだ。大阪のことを好きになろうと、歴史や近代建築や鉄道史などを勉強し、面白さがわかるようになってきた。関西ローカルの番組は性に合ったのか、楽しく見ていた。阪神のスタメンやローテーションが自然と頭に入り、世間話についていけるようになった。「谷町四丁目」「鶴橋」などのアクセントにも慣れ、鉄道移動にも慣れ、まあまあ迷子にならずに梅田を歩けるようになった。たこせんだけは食べ過ぎて「ごめん、せめて月1回にしてほしい」と頼んだ。いかなごくぎ煮半夏生のたこ、お正月の鯛の尾頭付き。はんぺんの入らないおでん。食文化を学んで黒門市場をうろうろするのは楽しかった。もちろん楽しいことだけではない。徐々に長くなる通勤時間、終電との戦い、根本的には理解できない言葉のニュアンス。親族まわりのごたごた、義父の入院と死、相続手続きに追われながら夫の東京への転勤決定。異文化での葬式は嵐のようだった。

そして疲弊しきって戻った36歳の東京。プライベートは徐々に落ち着き、仕事だって紆余曲折はあるもののそれなりにそれなりだ。そこから気がつけばもう6年。結婚をすると決めたときから、自分が思い込む価値観なんてよそから見れば吹けば飛ぶよな話であり、苔の生さない石であり続けるのだろうと思っていた。まあでも、それ以前からそもそもだいぶ転がってきたし、いつか落ち着きたいと思って落ち着いたためしは残念ながらない。きっとそういう人生がころころと進んでいくのだろう。

特別お題「『選択』と『年齢』」

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