Really Saying Something

他にバイク(VTR-F)日記とかTwitterのlikeまとめブログとかやってます。

基礎体温

女性で産婦人科にかかったことがある方にはたぶんおなじみの基礎体温というやつを測っている。というより測り始めた。人生で3回目だ。前の1、2回目は非常に短期間で終わった。何回か書いたけど私は本当に本当に本当に朝が弱い。起きてすぐに口の中に体温計を突っ込んで5分待って体温が表示されるのを待つという曲芸のようなことができない。5分あったら二度寝しませんか??? 10代の頃(1回目)は割と頻繁に噛んだ状態でまた寝てしまい、母親が5分経ったら起こしてくれるという相当なズル(起きてそのままの体温を測るのでまったく意味がない)をしたけど継続をあきらめた。30代の頃(2回目)は母親の手助けがないので、起きられないかと思いきや、意外なことに1ヶ月だけ続けることができた。きれいに体温のグラフが遷移するのがわかって、私はとても満足して、計測を終えた。

さて3回目であるが、なんと奇跡的なことになんとか1週間記録できている。目覚ましに使っているスマホスヌーズが何回かあった後、すぐ横に置いてある基礎体温計を口に突っ込む。そしてそのままじっとしている。気がつくとふと口が開いていたりもするが(寝てる)、なんとか5分間をやり過ごして、寝起きでよく見えない目で数値を読み取り、シートに記入するほど快活には起きていないので、iPhoneのヘルスケアのリプロダクティブヘルスのコーナーに数値を打ち込む。そしてもう一度ちょっとだけ寝る。数値を読んで数字をタップしている記憶は後から考えるとあんまりなく、なんとなくリプロダクティブヘルスの数値が一応埋まっているのを見返して「なんとか頑張ってるんだなー」などとのんきに考えている。

まだ1ヶ月経ってないため成功体験と呼ぶには難しいけど、紙にこまこま書き入れる形式だったらあっという間に挫折していたかもしれない。何しろ約1年くらい前に婦人科を受診して、なんにせよ基礎体温を測っておくのは有用だから、と言われた後、基礎体温計を買ったはいいもののなんだかんだで約1年放置して先生にこっぴどく怒られ、退路を断たれている状況なのだ。「どうしても決まった時間に毎日起きれません」と至極真剣に伝えたところ、「毎日同じ時間だと絶対に挫折します。4〜5時間の睡眠の後であれば構いません。そんなこと言ってると夜勤の人は測れなくなってしまうので」と言われ、多少気楽になった。

さて今日は諸事情により寝る時間が遅くなった。明朝の私、なんとか頑張ってほしい。

「健康を目指す」ことへの道

あんまりネガティブなことを書くのもなーと思ってブログに書かずにいたのですが(昔Web日記書いてた頃はがんがん載せてたのに……)、我ながら我慢ならなくなって書きます。

夏にめちゃくちゃ忙しい時期があって、割と気合いと根性と時間で乗り切ったのですが、その余波が残暑あたりにやってきて、しばらく体調が悪い時期が続きました。具体的には起きがけの頭痛、めまい、倦怠感、たまに吐き気(めまい由来かも)ですね。もともと偏頭痛持ちなので「薬飲んで寝ていればなんとかなる」と思っていたのに、これがなかなか治らない。治ったと思ってもまた波が来る。内科や耳鼻科*1に行くわけですが、対症療法的な感じにしかならない。あと「よく寝てよく水分をとって」しか言われない。あんまり続くと当然ながら心因性が疑われるので、「心療内科に行っては?」と勧められたりもしたんですが、以前どこかで書いたけど私もともと睡眠障害っぽくて一応定期的に通ってはいたんですね……。しょうがないので(?)かかりつけの先生に相談したところ、起立性低血圧ではないか、とのことで、薬もらって飲んでてまあまあよくなってきていたのです。そしたら、先週固いところに座っていたときに腰痛いなーと思って、土日にストレッチしてたのに、今朝完全に悪くなっててびっくりですよ。これまた対症療法しかなくて、基本的に腰の筋肉を鍛えるしかないようで、要するに総合すると「よく寝てよく水分とってよく運動して」ってことで、とにかく健康を目指さないと不愉快な状態が続くことがわかってしまったんです。今までは健康を目指さなくても健康だったのに(婦人科の持病を除く)。血液検査までされて本当に異常がない(婦人科の持病を除く)。もうこうなったら普通に生きていくために健康を目指す、でなくば死、みたいな感じで、雑な生き方が好きだったのにもう「丁寧な暮らし」とか心がけないといけないのかと思うと悲しいです。適当に生きていきたかった……。

(執筆時間:15分)

*1:以前良性発作性頭位めまい症をやったことがあり、耳鼻科疾患を疑いました

拡大解釈した上での義理の祖父母の話

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

私の父方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっていた。だから写真数枚と、断片的に語られるエピソードでしか彼らのことを把握できなかった。祖母は大変聡明な人だったらしく、かつ当時は珍しく勤めに出ており、子供5人は事実上義母(私にとっては曽祖母)が育てたという。一度も話したことはないが、会って話したら結構気が合うのではないかと勝手に思った。祖父についてはだいぶぼんやりとしか思い描けない。気性が荒い、いわゆる明治男だった、くらいの話しか覚えていない。

母方の祖父は私が1歳の時に亡くなった。日射病、今でいう熱中症だったそうだ。末娘である母親のことをずいぶんかわいがっていたという。夏は植木屋さん、冬は杜氏だったそうで、杜氏の時の写真から酒造を探して(現存はしていなかった)近そうな銘柄の日本酒を母親にプレゼントしたことがある。母方の祖母は私が4歳の時に亡くなった。4人の祖父母の中で唯一私がきちんと記憶しているのはこの祖母で、同い年のいとこと一緒に手をつないで近くの銭湯に行ったり、近くの八百屋的ななんでも扱うお店(なんと呼ぶのだろう)でヤクルトを買ってもらったり、内風呂で頭からお湯をかけられて私が大泣きしたり(私はお風呂が苦手だったので、母親はいつも顔にお湯がかからないように髪を洗ってくれていた)、と2〜3歳の頃の出来事がまだ頭に残っている。祖母が脳卒中で倒れ、もう長くはないという知らせが届いた時に、夜行列車(たぶんあけぼの)に乗るために上野駅に向かう途中、横須賀線ホームから東京駅に降り立って乗り換えで迷う母親と会話したのはものすごく鮮明に覚えている。当時から湘南新宿ラインができるくらいまでの横須賀線ホームからの乗り換えは、真っ白で何もない通路で何度もエスカレーターに乗らないとできなかった。上野駅にたどり着いて、13番だか14番だか、夜行列車のためのホームで、晩ごはんがまだだったからとそばを食べたような気がするけど、ここだけは別の記憶と混ざっているかもしれない。とりあえず夜行列車は無事青森に着き、母親は祖母を家で少しだけ看病した後、無事に看取ることができた。私はその場にはいなかったはずだけど、何をしていたのかは記憶にない。その後葬式が執り行われ、広いお寺の宴会場のようなところで、祖母の子供である姉妹のうち3人(以前どこかで書いているけどおばの1人は知的障害があるため子供たちを見守る役目だった)は、通夜振る舞いなのかなんなのか、お膳を囲む来訪者にお酌をして回っていた。その風景は、私が成長過程において「宴席で女性だけが甲斐甲斐しく動くこと」を憎む原因となる。ついでに、車で後から駆け付けた父親のお膳から甘えびをもらい、それが美味しくてえびが好きになった。

最後に亡くなったのは、父方の祖父の母親、私から見た曽祖母で、私が10歳のときだった。こちらはあまり記憶に残っていない。というのも父方の親戚たちがいるところは母親とその子供にとっては完全アウェイであり、とにかく息苦しかったからだ。そろそろ危ないとなったときに一度病院に会いに行ったけど、向こうもあまり覚えていない、私も初対面の人、という感じでどうすればいいのか途方に暮れた。今気づいたけど名前も忘れてしまった。

小学校入学時には祖父母が全員いないという環境で、当時は珍しかったために、敬老の日を前に「おじいちゃんおばあちゃんに手紙を書きましょう」というよくあるイベントが発生したときは「いません」と堂々と告げ、担任の先生は困っていた。ご近所のおばあちゃんに宛てて手紙を書くことになり、私は適当なことをでっちあげて、その手紙を持ち帰って捨てた。祖父母が既にいないことや手紙を書く相手がいないことには何の感情も起きなかったけど、しぶしぶ書いた手紙に意味があるとは全く思えなかったのだった。

長らく祖父母のいない人生を送っているせいか、先祖供養という考えがあまり自分の中になく(何しろ墓参りもお盆もほぼやっていないのだ)、世間と折り合いをつけるのめんどくさそうだなと思っていたけど、なんと結婚相手も割と早めに祖父母を亡くしており、さらに親戚づきあいが少なめだったので、世間的プロトコルとしては楽だった。親戚づきあいが多い結婚相手だったらどう振る舞っていいかわからなくて寿命が縮まっていたと思う。

母親の祖父母は互いに再婚同士だったそうだ。母親には同じ父を持つ義理の兄が一人いたそうだけど、1回会ったきりで、さらに早くに亡くなったそうで、私との関わり合いはなかった。祖父母が縁あって再婚したから私は今ここにいるわけで、普段先祖供養のことなど微塵も考えないけれど、祖父母それぞれの前の結婚相手はどんな人だったのだろう、なんてことはたまに考える。全く血のつながりはないけど拡大解釈すれば義理の祖父母といえなくもない。もちろん彼らは私の存在など知る由もないわけで、さらにいえば年齢を考えるとおそらく他界しているはずで、その人たちが結婚生活を続けられなかったのはなぜなんだろう、ということを私が知る方法はもうどこにもない。