Really Saying Something

雑文系ブログです。

自分だけが気になるクリスマスソング(というよりは聖歌・賛美歌)+1=5選

毎年クリスマスシーズンになると、いろいろなクリスマスソング(っていうか聖歌または賛美歌ですよね)が街角に流れるようになりますね!!!! 「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」などめちゃくちゃ有名な曲はわかるのですが、外で耳にして「あああああこれなんだっけ!!!!」となって、一生懸命脳内でそのフレーズを繰り返しながら、自宅でぐぐって「ああそうだこれだった……」と納得する、という一連の流れにもう疲れきってしまいました。

自分が好きだけどとっさにまったくタイトルが出てこないもの4つと、街で流れていると突然コーラスに参加し始めて夫に不気味がられる曲1つをこの記事にまとめておいて、「これなんだっけ!」ってなったら読み返そうと思います。くまのぬいぐるみと同じ動機でまとめました。誰得かというと本当に自分得なので、もしこの記事をうっかり開いてしまった皆さまは特に曲を再生する必要はありません。それではどうぞ。

もみの木(O Tannenbaum/O Christmas Tree)


荒野の果てに/あめのみつかいの(Les Anges dans nos Campagnes/Angels We Have Heard on High)


おまけ:恋人たちのクリスマス(All I Want For Christmas Is You)

昔語り

昔話です。LINE BLOGにでも書けよという感じのポエムかもしれません。

昔、割と信頼している人に、その時点でどうしても吐露せずにはいられなかったことをちょっとふんわりとした言い方で(若いし強がってたので弱いところをそのまま見せるのが嫌だったんですね、若いねほんと)言ったら、めっちゃさっくり受け流されて、全然違う話を始められて、勝手にがっくりきた、ということがありました。

今の私ならわかる。物事はストレートに言え、わかってもらいたいなんて甘えだ、わかってもらうために説明しろと。

しかし、まあ若さっていうのもあるかもしれないけど、憧れにも似た信頼感を寄せた人が、ちょろっと弱音吐いたときに、へーふーん大変だねそういう話あるよね、で終わられて、自分のの話がスタートして、これどう思う?みたいなことを聞かれても、あんまり気乗りしないわけです。

結局疎遠になって終わるというか、終わるも何もって感じで、しかも今、さも特定のひとりっぽく書いたけど、実は複数人そういう人がいまして。単にそういう人が近くに多かった、だけかもしれないけど。

きっと世の中そういう人ばかりなんだな、自分のことは全部相談せずに自分で解決しなければ、誰にも弱みを見せまい、と思って過ごして時間が経ってみれば、意外と、割とちゃんと人の話を聞いてくれる人が周囲にいる環境になっていました。

もしかしたら単に私が若かっただけだったのかもしれない=今は丸くなったのかもしれない、そして周囲に恵まれたのかもしれない、けど、あのとき(複数回)感じた断絶というか、絶望に近い感情は、今でもはっきり覚えています。

しかし大人になったら、そういう弱みだの何だのは逆に言いづらくなるもので、当時の私の話を誰か聞いてあげてほしかったなぁ、とはちょっとだけ思います。まあ今より数倍は激しい性格をしてたし、今より数倍はコミュ障だったから自業自得なんだろうけどさ。

八本脚の蝶との再会

toya.hatenablog.com

一つ前の記事で、二階堂奥歯さんのサイト「八本脚の蝶」が消えたという内容を書きましたが、その後TwitterにてWebの管理をされているmichisuさんから、後継サービスへの移行を行ったというご連絡をいただきました。





ということで、再会を喜ぶとともに、管理をされており、ブログをご覧いただいて連絡までくださったmichisuさんに心から御礼申し上げます。

今の心境で読み返すと、「そうです、著者から受け取ったものをスルーするだけはだめなのです、たとえ相手が神でも!」、「物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる」(これは旧約聖書続編のマカバイ記です)あたりがなんだか響きます。

聖書の著者は、公式には神です。神が40人程の人間を用いて書かせたということになっています。
しかし、その40人の中には見事な編集者魂を持った人がいたのです。正直私は感動しました。神の言葉でも聖霊のお告げでも、編集するところは編集する。そうです、著者から受け取ったものをスルーするだけはだめなのです、たとえ相手が神でも! 名前も残ってないあなたを私は尊敬します!
この人は編集者かな、編者かな、とにかく相手は神ですよ、神。

(中略)

そこで、わたしもこの辺で筆をおこう。もしこの物語の編集が巧みで要領を得ているなら、それはわたしの喜ぶところである。しかし、つたなく平凡であるとすれば、それはわたしの力が及ばなかったのである。(中略)それと同様、物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる。これをもって本書の終わりとする。
(「旧約聖書続編 マカバイ記 二 15・37~39」『聖書 新共同訳』)

(2003年4月20日の日記より)

§  §  §

私が「消えた八本脚の蝶」を書いた翌朝……というか、次の朝に、ライターの雨宮まみさんが亡くなりました。

二階堂奥歯さんと雨宮まみさんのお二人を並列で連想していらっしゃる方もいたようですが、私の中ではまったくお二人の間につながりがあるという印象はなく、ただ、雨宮まみさんが11月2日にtweetしたこの内容を見て、『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コア新書)を読んで感想をお伝えしたいな、とは思っていました。

ふと振り返ってみると、多少の年齢のずれはあれど、二階堂奥歯さんも大塚幸代さんも雨宮まみさんも私も同年代なんです。直接会ってお話しし、交流することができたのは、雨宮まみさんだけでした。

雨宮まみさんとはプライベートな関係というよりはお仕事を通じての関係の方が強かったのですが、プロレスの現場で夫ともどもご挨拶したり、私が競馬を好きなことを知っていて馬のプリントのおしゃれなかばんを教えてくれたりしたし、そもそもまみさんは私のことを「とやさん」と呼んでくれていたので、こちらで少し、まみさんのことを書きたいと思っていました。でも未だに何を書けばいいのかさっぱりわからないし、何も書けないような気もするし、書きたいことが山ほどあるような気もします。うっかり「雨宮まみのいない世界線」に迷い込んで私だけ出られなくなっているような感情にとらわれることもあります。脳内では言葉が渦巻いているけど、それを適切な日本語に変換し、うまく表現としてアウトプットすることがまだできないような気がするのです。


今はまだ、この言葉を支えにがんばっていかないとなぁ、とだけ思っています。