Really Saying Something

雑文系ブログです。

ベルトを買う

先日、夫が10年?ほど使っていたベルトのバックルが壊れました。

最初は留まっている金具の片方だけが外れて、だましだまし引っ掛けながら使っていたようなんですが、そうすることでもう片方にも負担がかかったようであえなく全損。

ジーンズが落ちてしまうのでベルトを買ってきてほしいと頼まれました。

しかし。

父親が大工で作業着を普段着ており、自分で調達していたせいか、「ベルトを買う」ためにいったいどこへ行ってどのコーナーに向かえばいいのかまったくわかりません。何か買い物で困ることがあればデパートに行くことが多いのですが(冠婚葬祭とか)ベルト1本を買うのにデパートまで行くのはさすがにどうかと思うし、幸いまあまあ近所にチェーンの紳士服店があるのでそこで買えばよいと夫は言います。紳士服店で買い物。夫が別の店で何かを買うときにぼーっと待っていたことはありますが、なんというか、あたりがつけられないのです。行けばなんとかなるという気持ちにもならない。

とはいえベルトがないと困るわけで、心許ないながらもひとりでそのチェーンの紳士服店に向かいました。店内でベルトコーナーらしきものを見つけましたがジーンズとスーツ?スラックス?で共通なのかそうでないのかもわからない。きょどってうろうろする私を女性の店員さんが素早くキャッチします。

「何かお探しですか?」
「べ、ベルトを。スーツじゃなくてジーンズなんですがここでもいいんでしょうか」
「はい、このコーナーにそろっております」

……などの会話をしたのですがどれが何に適したベルトなのか、説明を聞いても把握できませんでした。一応前のベルトの大きさに近そうなものを1つと、リバーシブルで細身のを1つ買いました。これはネクタイ選びに付き合ったときの感覚に似ています。何がよくて何がだめなのか基準がわからない。大統領選には赤いネクタイがいい、結婚式や披露宴には白か銀のネクタイがいい、くらいの知識だけはあるのですが、顔に似合うとか体型がどうのとか長さが適切とか本当にわからないのです。結んであげることもできません。ベルトと、ネクタイと、カフスボタン(これは特に書くこともないくらい何も知らん)、これらは私が有効な買い物をできるとは到底思えないジャンルのうちの最たるものです。次点に「男性もののパジャマ」「男性もののステテコやランニングなど下着の数々」もあったのですが、義父(故人)のための買い物で少しだけ鍛えられました。

よく理解できないまま終えた買い物の帰り、気分を落ち着かせるためにコンビニで小さめのおやつを買って、自宅に戻りました。私が買ったベルトのうち太めの方はジーンズに適していたようでした。細身のリバーシブルのは、ジーンズには合わず、スーツ的なものを着るときに使うと言っておりました。一応用を成すことができたらしいのでほっとしました。

そもそも、ベルトの長さを切って調整するのは知っていたのに、穴の方(バックルにくっついてる方じゃない方)を切るんだと思っていたくらいで(冷静に考えると穴がなくなってしまいますね……)、店員さんに「バックルの付け外しは簡単にできます」と教えてもらって、いろいろできてすごい、とか感心していました。一定基準の買い物ができないジャンルまだまだある気がする……。

好きか嫌いか

私は情けないことに、何かしらの制作物について(音楽でも、映画でも、文章でも)、好きか嫌いかを表明するということを本当に最近教わりました。人生比で。合うか合わないか、は割とよくジャッジする機会があったし、中身について喜怒哀楽を表現することはかなりあるけど、個人の好き嫌い、特に「嫌い」をどこかに出すのはよくないことです!みたいな小学生のような論理で長いこと生きてきたわけです。

なんでそうなってしまったかというと、私が「嫌い」だと感じる何かには私が、私の能力のせいで気づけない「良さ」があるはずだ、という思い込みがあったし、今も割とそう思っているのです。でもそれって単に、自分の「嫌い」という感情(または判断)を無視しているだけで、「良さの有無」とはまったく関係なかったのでした。

そういう意味では「合う」「合わない」のジャッジは結構いい線いってる手法なのでは?と思って、やたらと時間をかけて、うまいと思っていて自分にはとても書けないような良さを持つことはわかってるけどいまいち「合わない」ものを丹念に見てみました。そして、「嫌いというわけではないが好きでもない、うまいとは思うけど私にはやっぱり合わん」と再確認しました。再確認作業、ばかみたいなことやってる感じなんですけども、あんまり見たくないものを雑に扱わず、丁寧に向き合うのは、それはそれで価値のあることでした。敬意は持てるのだということもわかったし。

そして別にそれを声高に言うとか宣言するとかも必要のないことで、ただひっそり「嫌い」または「合わない」と思っておけばよくて、別にそのように思うこと自体は無理に否定しなくてもいいじゃん、という心境にやっと至れたのでした。

その丹念に見た時間のことを記録しておきたくてちゃんとブログに書きました。そして、好きなものはちゃんと好きだと言っていかねばなるまい、ときちんと思い直しました。

「Robotic Art in Ginza ものづくりロボットと創るアートの世界」に行って写真を撮ったのですがまとめてない

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Robotic Art in Ginza - ものづくりロボットと創るアートの世界 | Events | METoA Ginza ウェブサイト

※季節に応じた作品の装いの変化も予定しております。ご期待ください。

昨年行って、きゃっきゃとはしゃぎながらミニチュア写真を撮ったのですが、作品が変化するのは知らなかった!!! 2月15日までなのでまた行かなければならぬ……!