Really Saying Something

雑文系ブログです。

「英語恐怖症」から「英語こわい」くらいになるまで

結局怖いんじゃんっていう感じのタイトルですが。つまりこのエントリーを読んでもまったく英語の上達にはつながらないということですすみません。

英語がずっと怖いまま長らく過ごしてきました。というよりは外国語というものがとても怖いものでした。言葉が通じなかったら海外に行ったときに命の危険があるじゃないですか。あといろいろだまされそうじゃないですか。海外旅行も相当怖いものだったのですがその話はいくらでも脱線できるのでちょっと置いときます。

「英語と私」というタイトルがつけられそうな文章を長め3段落くらい書いたのですが全消ししました。まあいろいろあってずっと私は英語が恐怖だったわけです。仕事で英文を読まないといけなかったり英語を聞かないといけなかったりなんていう希有な時代もあったのですが、トータルで触れる時間は一瞬だったし、英語の理解とは違う用途だったので、あんまり身にはつきませんでした。読むのも書くのも聞くのも話すのも全部恐怖。大学受験を割とがっつり、しかも二度やったとは思えない英語回避っぷり。

そんな私が大学受験終了から約20年経ってやっと、そこまで英語は恐怖心を抱く対象ではない、くらいに進歩しました。進歩?妥協?よくわかんないですが、恐怖じゃなくて「こわい」くらいになりました。

きっかけは2回目の台湾旅行でした。この海外旅行は人生では3回目で、1回目は香港、2回目が台湾(1回目)。どちらも英語ができればなんとか意思の疎通ができるところでしたが、片言の旅行英語すら出てきませんでした。がんばって言ってもまるきり通じないとか(たぶん英語を理解しない人に英語で話しかけたと思われるけど、発音が壊滅的にだめか、文法的にまずかったのかもしれない)(←とか考える時点でだめぽい)。

台湾2回目は、一度街の様子を経験していてどこに行けば何があるか多少把握していたせいか、街にある繁体字の羅列への理解が早くなりました。漢字と同時に、添えてある英語も一緒に考え合わせて意味をとることが多くありました。当たり前ですが、それしか読むものがなければ、書いてあることから最大限情報を引き出そうとするものなんですよね。繁体字と英語を日本語を介さずに一緒に見ていたので、「英語はすべて日本語訳していったん考える」というプロセスを自然に飛ばせました。

あ、削除した文章に書いてたんですが、たとえば電車で英語のアナウンスが流れる場合など、私の場合は脳内ですべてを英文にしてから日本語訳して理解するというプロセスを踏みます。脳内英文解釈。英語の音声にしても文章にしても、頭から理解するということができないようです。なので単語やイディオムを聞き落とすと脳内日本語訳が成立しないので、そもそも意味がとれない。リスニング試験が苦手なのはまるっきりこのせいです。TOEICとか怖くて受けられません。英語がこの調子なので他の言語も推して知るべし感ある。

話は戻りまして、日本語を飛ばした方が情報を得られるということを学んだ結果、英語を直接見るのが怖くなくなりました。いやまあわかんないものはわかんないんですが。英文のWebサイトを見る場合は日本語翻訳かけると余計に意味がわからなくなるので基本的には英文をそのまま読んでいるのですが、その時の恐怖心がだいぶ減りました。訳のわからないもの読まなきゃ怖い怖いいやだ、みたいなのが軽減したというか。

そこにさらに、教えてもらった英BBCのラジオを聞くようになりました。

とはいっても「英語のラジオを聞いてリスニング力を高めよう!」みたいなことを言うつもりは全くありません。というか基本的に「英語がわからない」のは変わりはないのです。読むのも書くのも聞くのも話すのも。主に仕事中のBGM代わりに使ったり、だらだら聞くのに使ったりしています。でも、音楽が合間合間にはさまるので普通に音楽を聞く用途にできたり(何しろ英語の歌を理解できないから邪魔にならん)、たまに知ってる曲がかかってお得だったりするので耳なじみは割とよいです。

さらに、真面目に英語を勉強することから遠ざかって約20年経っても一応なんとなーくまだ記憶の奥底には何かが残っていて、何かの拍子にロンドンの天気やマカフィー創業者のニュースやってんなーということが理解できました。だいぶ低レベルな話。でも英語聞くの恐怖、という状態から「英語聞いてなんか意味がわかった」への飛躍は、個人的にはかなりうれしかったです。だって今までは脳内英作文→脳内日本語訳→無理、でしたからねぇ。そもそもラジオ聞き取って英作文、は無理なので脳があきらめている。それがよかったのかもしれません。

巷によくある「英語をたくさん聞いて英語ができるようになる」系の教材やればいいのでは、というのはたぶん私の性格上無理で、「脳があきらめている」状態を演出しないと、脳内英文解釈が止まらないはず。たぶん強制的に英語圏の国に行って英語を聞かざるを得ない状況になったらわかるようにはなるんだろうなぁ。でもそもそも英語に恐怖心があるから海外旅行が怖いわけで、ニワトリが先か卵が先かという。