Really Saying Something

雑文系ブログです。

祖父母(概念)

父方の祖父母は私が生まれる前に二人とも亡くなった。母方の祖父は私が1歳のときに日射病(当時。今ならたぶん熱中症)がもとで亡くなり、祖母は4歳のときに脳卒中(正確な病名は知らない)で亡くなった。つまり4歳で祖父母がいなくなってしまった*1ので、小学校でありがちな敬老の日的イベント、例えば感謝の作文とか、はことごとく面倒としか言いようがないものだった。何が面倒って、祖父母全滅状態な子供はまあまあ珍しいために、かわいそうがられることが。普通に病死だし亡くしてすぐって訳でもないしああもう、みたいなことを考えつつ適当に作文をでっち上げるいやなガキでした。

しかも父方・母方の墓は双方やたら遠いところにあるし、祖父母がいなければ特に帰省する理由もないし、というさまざまな事象が積み重なって、墓参りや法事の経験が非常に少ない。場所も知らない。母方の方はかろうじて「この一帯の中にあるお寺のどれか」くらいはわかるが父方に至っては車じゃないと行けない田んぼの脇、レベルなので場所を特定するための記憶の手がかりですら存在しない。まあ墓に行かないととって食われるとかじゃないし、父方の祖父母にとっては私が生まれることそのものが生前には予見できないので、こんな感じでもよいのだと思う。

とはいえ、少なくとも会ってかわいがってもらったことがある母方の祖父母については、多少は記憶があるし、自分にかかわるエピソードも存在するので、しばしば会話に出る。祖父は自分にとっての末娘の子供にあたる私をずいぶんかわいがってくれたようだった。また、後々に性格が似てると言われたこともある。杜氏と植木職人をやっていたそうで、だいぶ前にはてなダイアリーの方で祖父の写真を載せたこともあった。私の最古の記憶は、祖父の火葬待ち時間に外でいとこと遊んでいる風景だけれど、1歳でそこまで覚えているのも奇妙なので、もしかしたら後付けなのかもしれない。祖母の方はもう少しはっきり記憶がある。2歳から3歳にかけてだけどこちらは本物のはず。

まともな会話をするとか、祖父母孝行をするとか、そういう機会は本当に全くなかった(例えようもなくゼロだ)けど、エピソードをもとに語られたことがあるということは、たまーにでも思い出したりなんとなく考えてみたりするよすがになり得るのだなとなんとなく思った。

*1:最後にこの世から旅立ったのは父方の曽祖母であった。が、特にここで触れるエピソードはないので割愛。