Really Saying Something

雑文系ブログです。

「正確」さとの戦い、または最初から敗北していることについて

ブログにせよTwitterにせよ、どの言葉をどれくらい正確に書くか、みたいなことはとても難しいです。

例えばキリスト教の言葉だったら(あんまり書く機会はないのですが)、カトリックで使う「ミサ」は正教会なら「聖体礼儀」で、聖公会プロテスタントなら「聖餐式」だそうです。この辺はいったんWikipediaに迷い込んだらもう果てしなくて、先ほど挙げた3つの言葉も儀式の内容自体は意味もやることも異なるという、うかつに間違えられないものです(とはいえ割と混同することが多くあるようですが……)。

例えば大学名国学院大学は「國學院大學」だし、慶応大学は「慶應義塾大学」だけど、だいたいは旧字を使わず「国学院大学」「慶応義塾大学」で通じますね。しかし佛教大学は、新字の「仏教大学」ではないのです!最初に知ったときはかなり驚きました(佛教大学の関係者の方すみません、関西の大学に詳しくないのです)。

去年はマレーシアで、イスラム教徒ではない人が神を表す言葉として「アッラー」を使うことを禁じる判決が出たとのこと。こうなると宗教や文化、国の個別の事情などもあって日本にそのまま持ってはこれませんが、では日本人で非ムスリム(女性なので「ムスリマ」ですね)である私がイスラームの神様のことを指すときなんと書けばいいのか。

すべての言葉を正確に書くなんてことはできないので、その都度辞書などを調べたり、Wikipedia沼にはまったりしながらなんとかしていくわけですが、どんなに説明をくっつけてもその言葉を本当に正確にその文脈にあった状態で100%きっちり使った!というケースは存在しない訳で、かつ今書いているこの一文だって句点なしでどんどこ書いていて日本語としてきれいかというとまったくそんなことはない訳で、どうにもならんなーと思いながらこつこつ書くしかないのだなぁ、と思ったりしています。