Really Saying Something

雑文系ブログです。

「うっかり降り間違えた駅人間」

すっかりV6ブログっぽくなってますがV6(やジャニーズ)の話題だけではありません。(前置き)

小学校高学年あたりに「好きな人」「○○ちゃんは××くんのことが好き」「■■くんは△△さんのことが好き」という話題が増える、というのを体験した方は多いと思う。たぶん。かくいう自分も初恋は小学生のときであった。しかし、なかなかそういう“恋バナ”に乗り切れなかった。そのことがいくらかコンプレックスになっており、同じ人を好きになった女子と「あの人のこんなところが好きだ」「かっこいい」みたいな話をしたこともあった。でもあんまり楽しくなかった(その子には申し訳ない)。

男子はどうなのかわからないけど、女子同士における結束力の高まりというものは「何かしらの秘密を共有し合うこと」のような気がしてならない。私は自分のことを人に話すのが極端に苦手だった。今でこそ、年月を経て多少の大人力を磨き、場数も踏んで、割と話せるようになったものの、大学まではどうしたらいいのか何ともわからなかった。仲の良い・気が合う人はいたけど(そして今でもFacebookなどで交流があってありがたいことなんだけど)、プライベートにまつわる話をした覚えはあんまりない。自分のことを話さない人には相手も話してこないというのはよくあることだと思う。打ち明け話をするタイプの女子との間合いの詰め方がわからなかった。

そういう話題からなんとなく遠ざかっていると、「誰かと誰かが付き合っている」というような情報には疎くなる。だいたいクラスでは最後の方にそういう話を聞く(そしてそのタイミングでは周知の話になっている)とか、全然知らないまま過ごしていたら「別れたらしい」という話だけ聞くとか、日常茶飯事だった。そういう話題に別に乗っかったり興味を持ったりしなくても別にいいんだ、と気づいたのは社会人になって2年目か3年目あたりだったか。自分がその話題を知っていようがいまいが、周囲の人間はくっついたり離れたり、いろんなことがあったりするもので、そこに気づいてからものすごく楽になった。

とはいっても、仲の良い人から恋人や旦那さんの話を聞くのは結構好きだった。もちろん中身のすべてがいいことばかりではないけど、話を聞くのは良いことだ。そういう場合は、大変私にとって幸運なことに、私に対して詮索をするような人がほとんどいなかった(詮索というと聞こえが悪いけど、「私が話したんだからあなたも話して」という態度を取る人はまあまあの確率で存在する)。話の流れで自分のことを話す機会もあった。のろけ話を聞くのは得意だったけど相談事をどのくらいの粒度で聞けばいいのかはよくわからなくて、いろいろ聞いて心配していたけどいつの間にかその話は解決していた、ということも度々あった。

きっと人間関係に関する話をうまく聞ける人はきっと相手を傷つけたり不快に思わせたりすることなくいろいろなことを聞いて適切な返答をすることができるんだろうけど、私にはたぶん無理なんだろうと思う。

この匿名ダイアリーの人になんとなく共感するのだけど、近いようで遠いような。相手の話を聞いた後で、意図的に距離を置かれるでも酷いことを言われるのでもなく、その人がすーっとフェードアウトしていってしまうことはある。この人は自分のことを「焚き火人間」と表現しているけど、自分の場合は「うっかり降り間違えた駅人間」みたいだなぁと思った。もう一度電車に乗り直したら降りることはない、みたいな。