Really Saying Something

雑文系ブログです。

なかったこと

家族でも恋人でも仕事でも何でもいいのだけど、本当につらかったり落ち込んだり救いがなかったりする出来事ってあるじゃないですか。生きてると。で、何かしらで解決するとか、どうにもならないままフェードアウトして何となく終わったとか、ただ単に過ぎ去ったとか、とにかく今はもう何でもない、その状態ではない、ということになる。それで何かの拍子にふと思い出すことってありませんか。私はたまーにあります。

直接のフックになることやものや人で思い出すこともあれば、意識的にこういうことあったね、って思い出すこともある。別にもう思い出さなくても生きていけるんだけど、通り過ぎてきた道の一部をなぜか確認したくなる、という感じです。

その出来事のあれこれには、完全に過去のものになっていて、思い出してみたらいろいろあったけどまあもういいや、というのもあるし、過去のものにはなってるけどなんだか吹っ切れないのもあるし、もう二度とその状態にはなり得ないのを知っているのに「もう二度とごめんだ」なんてつい思っちゃうのもあります。起きたことの度合いと、記憶のされ方には、あんまり関連がないケースが多いです。その瞬間の感情のあり方をきれいに覚えていたり、記憶が飛んでいて怒りだけ残ってたり、いろいろなパターンが。

その中のひとつを意識して思い出してみたら、思いのほかぐっさりと自分に刺さって、あまりにも現在起きているかのように思えるので、我ながらそこまで処理しきれていなかったとは、と驚くことがあります。そういうタイプのものは、所詮は忘れたふりとか終わったことのふりをしているだけなのですね。いや実際は普段自然と思い出されるようなことはないんですが。視界に入れてない、という感じで、本当はすぐそこにあるものなんだろうなぁと思います。

そういう瞬間に吉本ばなな「哀しい予感」のワンシーンをいつもセットで思い出します。要らないものを家の裏庭に放置して「なかったこと」にしてしまう一人暮らしのおばのこと。確か2回登場したんじゃなかったかな。うまく過去のものとして処理できた出来事はどこを探してもなくなってるけど、処理できたと思ってても実はできてない出来事は、どこかの裏側の方でひっそりうず高く積み上がってるのかもしれません。私自身にはそれは見えないんですけど。なかったことなので。