Really Saying Something

雑文系ブログです。

思えば遠くへきたもんだ

新社会人とか社会人2年目とかの話題を尻目に社会人17年目に入ってしまいました。すごいな。17年て。私が働き始めた頃に生まれた子供が高校2年生になってる。そのうち一緒に働くことになるのでしょう。

社会人になった頃、私はこのまま働き続けていけるようになるのか、途中で路頭に迷って家族ともども飢え死にしないだろうか、という生活の不安と、それでも自分の好きなジャンルの仕事をしたい、全然好きでも何でもない仕事は続けられない、という希望、その両方を持っていました。さまざまな状況を踏まえて結婚は頭になかったし、もし結婚することになっても働き続けなければ、なぜなら離婚したときにめちゃくちゃ困るから、という極めて現実的な課題意識がありました。

今よりもずっと「昭和」だった時代の空気感の中で、女性が働いて給料を人並みに得て暮らしていくこと、それが一般的な定年くらいの年齢まで続けられるかどうかに、私はかなり怯えていました。雑誌に登場する女性はみんなきれいで、かっこよくて、自分を美しく見せるふるまいや服装や化粧の技術に長けていて、素敵なお店に詳しく、男性からエスコートされてレストランに行く。そういう中に「どうやったら長く働くことができるのか」という、私が喉から手が出るほど欲しかった情報は、当時残念ながらあまりありませんでした。

それから幾星霜、本当にいろいろなことがありましたが、新卒時に考えていたことは現時点ではクリアできています。まずこれが自分にとって奇跡です。もちろんそれがすべてパーフェクトな、望ましいあり方かというと、たぶん違います。もっと違うやり方でもっと効率的にできる方法があったかもしれない、でも私にはできなかった。できなかったけど、ひとまずそこそこ健康で元気に暮らしています。部屋は散らかってるし、服装は雑だし、年齢相応の立ち振る舞いができているかというと割と疑問ではありますが、ひとまず今はなんとかなっていて、それは自分一人でたどり着いたのではなくて、周囲の人々(近い人も遠い人も)のおかげでもあります。

今までの自分の感覚では、「すべて周囲の人々のおかげだ」と書くところだったと思います。でもあえて「おかげでもある」と書きました。16年分振り返ってみたら、まあまあ自分頑張ってるんじゃないの、周囲の人々だけの力でこうなった訳でもないんじゃないの、という気がしてきたからです。頑張れたのは周囲の人々のおかげだと即座に言いますが、自分だって、まあそんなに悪くはなかったんじゃないの。

私は今年41歳になります。40歳になるまでにこういう感じならこうしよう、と思っていたことがあって、ひょんなことからそれはクリアになって、40歳の1年間(あと2ヶ月あるけど)はボーナスステージのような気持ちで過ごしました。ボーナスステージはそろそろ終わりで、また地に足をつけていかねばなりません。若者たちと一緒に頑張らないといけないぞ、という気持ちをあらためて書き記しておこうと思いました。