Really Saying Something

雑文系ブログです。

どこか遠く

2年前に普通二輪免許を取って、250ccのバイクを買ったにもかかわらず、驚くほど遠くに出かけていない。東京都を出られない。神奈川県には頑張って頑張って決死の思いで何度か行って帰ってこれたけど、それも三浦半島くらいであって、箱根にはまだ行けていないし、その先の伊豆半島なんてとんでもないという気分である。出張ではさっくり新幹線で通過するというのに。

高校の頃に原付の免許を取って、おさがりの原チャリで、地元の鎌倉市とお隣の藤沢市をよく走った。しかし横浜市や逗子市や茅ヶ崎市には入ったことがない。今Googleマップで見るとちょっとびっくりするくらいに行動範囲が鎌倉市藤沢市限定である。ママチャリだってもう少し遠くに行けるだろ、という狭さである。

今も当時の原チャリくらいの行動範囲でしかバイクを走らせてなくて、公道怖いとか高速道路怖いとかは免許取ったときからずっと変わらない問題であるのでちょっと置いといて(恐怖心を忘れないのは多少は良いことだと思うのだが)、まるで壁やらバリアやらがあるかのごとく「遠くに行けない」のには何か理由があるはずだと思っていた。

ひとつ考えたのは「電車への過剰な信頼感」である。脳内地図が路線図をもとにできているくらい電車ばかり乗っている。丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線、の通りに都内はできあがっていて、その東側から熱海行きの普通電車に乗れば熱海までの各駅に止まる、という仕組みで大学まで過ごした。社会人になったら地下鉄というものに出くわし、JRとの乗り継ぎの関係性でなんとか理解した。自分の足では行けないところには電車で行く、というのがスタンダードだった。例えば「彼氏の車でデート」というような文化圏は、すぐお隣にはあったものの、面白いほどに私には縁がなかった。

しかし子供の頃には父親の運転する車でドライブするのが好きであった。スカイラインハイエース、何かのトラックなどなど、いろんな車種でちょっとばかり乗せてもらって、横浜やら何やらのあちこちの道路を覚えた。ここで車好きに転じるチャンスはいくらでもあった。
(四輪免許取得時に冷や汗が出る思いをしてそれ以来もう車には乗らない、と決意する瞬間が訪れるのだがそれはまた別の話)

ここで筆が重くなる、つまりおそらくこれが原点であろうことに思い当たる。分離不安である。小さい頃、幼稚園の送り迎え、小学校に上がって下校時刻がやや遅くなること、朝学校に行く時間になって吐き気や下痢に見舞われ休ませてほしいと親に頼んだこと、全部今振り返れば「分離不安ですね」とわかるのだけど、とにかく外に出たら家に戻りたくなるのだった。この辺はきっと発達心理学の範疇に入るのだろうけど、家にいて何か楽しいことがあるわけではない、むしろ家なるものを疎んじていたにもかかわらず、遠くに行けばもれなく早く家に帰りたいと思う。旅行に行っても帰りの予定がたっていないと落ち着かない。何より思い出すのは、父親の車で夜、外にいる間は「ここに置いていかれたらどうしよう」と思っていて、学校に行っている間は「家に帰ったら誰もいなくなっていたらどうしよう」と思っていたことだ。あれからもう何十年と経っているのに今でもはっきり思い出せる。

「家に安全に戻る」ことができなくなる状況をおそらく何よりも恐れていて、それを何とか打開したくて一人旅に出たりバイクの免許を取ったりしているのに、あれから見事に何も変わっていない。

自分でも不思議だったのは「大阪に引っ越す」と決めたことだったけど、それは割と後からすぐ納得していて、「大阪に骨を埋める、大阪で一生を過ごす」と覚悟したからなのだった。もう「家」には戻らない、一方通行の何か。結局いろいろあって大阪を離れることになって、今度は東京が「家」になって、分離不安を起こして、行動範囲が広がらない。遠くに行くための道具は持っているというのに。