一つ前の記事で、二階堂奥歯さんのサイト「八本脚の蝶」が消えたという内容を書きましたが、その後TwitterにてWebの管理をされているmichisuさんから、後継サービスへの移行を行ったというご連絡をいただきました。
Web八本脚の蝶が見えなくなった件、niftyの古いホームページサービスが終わったためなので、後継サービスに移行しました。元のページからも飛べるようになってます。https://t.co/NHOq23NqcV
— michisu (@michisu) 2016年11月24日
(私はWeb上の場所を管理してる者です。気づくの遅れてすいません)
全文検索も動くようになおした
— michisu (@michisu) 2016年11月24日
@toya はじめまして。八本脚の蝶で検索してブログをお見かけしたのでご連絡しました。私niftyのアカウント所有者でして知らぬ間にサービス終了してしまってたので、昨日移行手続をしました。遅れてごめんなさい。
— michisu (@michisu) 2016年11月25日
嘆いているかたがたくさんいるようなので共有いただければ幸いです。
@michisu はじめまして。先ほど取り急ぎRTをさせていただきました!移行手続き、本当に本当にありがとうございます。ブログの方でも、別途記事を書くとともに、当該記事にも追記いたします!
— toya(概念) (@toya) 2016年11月25日
Web八本脚の蝶、奥歯さんのご家族も長く残すことを望まれているし、もし急に自分が死んでも誰かにアカウント管理が引き継がれるようにしとく
— michisu (@michisu) 2016年11月27日
ということで、再会を喜ぶとともに、管理をされており、ブログをご覧いただいて連絡までくださったmichisuさんに心から御礼申し上げます。
今の心境で読み返すと、「そうです、著者から受け取ったものをスルーするだけはだめなのです、たとえ相手が神でも!」、「物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる」(これは旧約聖書続編のマカバイ記です)あたりがなんだか響きます。
聖書の著者は、公式には神です。神が40人程の人間を用いて書かせたということになっています。
しかし、その40人の中には見事な編集者魂を持った人がいたのです。正直私は感動しました。神の言葉でも聖霊のお告げでも、編集するところは編集する。そうです、著者から受け取ったものをスルーするだけはだめなのです、たとえ相手が神でも! 名前も残ってないあなたを私は尊敬します!
この人は編集者かな、編者かな、とにかく相手は神ですよ、神。(中略)
そこで、わたしもこの辺で筆をおこう。もしこの物語の編集が巧みで要領を得ているなら、それはわたしの喜ぶところである。しかし、つたなく平凡であるとすれば、それはわたしの力が及ばなかったのである。(中略)それと同様、物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる。これをもって本書の終わりとする。
(「旧約聖書続編 マカバイ記 二 15・37~39」『聖書 新共同訳』)
(2003年4月20日の日記より)
§ § §
私が「消えた八本脚の蝶」を書いた翌朝……というか、次の朝に、ライターの雨宮まみさんが亡くなりました。
二階堂奥歯さんと雨宮まみさんのお二人を並列で連想していらっしゃる方もいたようですが、私の中ではまったくお二人の間につながりがあるという印象はなく、ただ、雨宮まみさんが11月2日にtweetしたこの内容を見て、『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コア新書)を読んで感想をお伝えしたいな、とは思っていました。
二階堂奥歯さんの文脈で自分のこと書いてもらったのは初めてで、大正解なんです。そしてそのあと、大塚幸代さんについても触れられてる。漠然とした「サブカル」についてよくまぁここまで書かれたなぁと思います。雑に使われてきたサブカルって言葉を丁寧に文脈から捉え直してある pic.twitter.com/qFSnvjuCja
— 雨宮まみ (@mamiamamiya) 2016年11月2日
間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに (コア新書)
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ふと振り返ってみると、多少の年齢のずれはあれど、二階堂奥歯さんも大塚幸代さんも雨宮まみさんも私も同年代なんです。直接会ってお話しし、交流することができたのは、雨宮まみさんだけでした。
雨宮まみさんとはプライベートな関係というよりはお仕事を通じての関係の方が強かったのですが、プロレスの現場で夫ともどもご挨拶したり、私が競馬を好きなことを知っていて馬のプリントのおしゃれなかばんを教えてくれたりしたし、そもそもまみさんは私のことを「とやさん」と呼んでくれていたので、こちらで少し、まみさんのことを書きたいと思っていました。でも未だに何を書けばいいのかさっぱりわからないし、何も書けないような気もするし、書きたいことが山ほどあるような気もします。うっかり「雨宮まみのいない世界線」に迷い込んで私だけ出られなくなっているような感情にとらわれることもあります。脳内では言葉が渦巻いているけど、それを適切な日本語に変換し、うまく表現としてアウトプットすることがまだできないような気がするのです。
先鋒に立った橋本選手も、大将になったカサンドラ宮城選手も、本当に「立場が人を育てる」という感じがあって、ここに立ったからには見せてやる! という気合が実力とガッチリ噛み合ってて、気持ちのいい魅せっぷりだった。みんな大好きになってしまう。
— 雨宮まみ (@mamiamamiya) 2015年11月12日
@mamiamamiya ちょっと力不足ぐらいのときに大きな立場を与えられると、立場が人を育てるときもあるし、そのときに悔しい思いをしても絶対にそのことがあとで役に立つ。そういうことを知ってて、任せられる人なんだって思います。選手としてのすごさと、指導者としてのすごさが両方ある!
— 雨宮まみ (@mamiamamiya) 2016年11月3日
今はまだ、この言葉を支えにがんばっていかないとなぁ、とだけ思っています。