Really Saying Something

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ころころと転がる石のように

神奈川で生まれ育ち、東京の会社に就職し、きっと一生家族を支えて生きていくのだろう、結婚もしないだろう、と思って31歳まで過ごした結果、なぜか結婚することになった。

5年ほど交際していた人(夫)は、私が結婚に踏み切るであろうタイミングをいろいろとはかっていたらしい。具体的には両親の離婚で、父と母両方をなんとかして看取るところまでやり遂げなければ、とずっと考えてきた私は「片手が空いた」と思った。それは率直に夫となる人にも伝えた。自分が置かれている家庭環境は包み隠さず話していたし、それで「結婚はしない」という結論になってもおかしくないという前提で淡々とお付き合いが続いていた。そこに良いチャンスが巡ってきたわけだ。私は「こういう状況で結婚を申し込まれたのであれば受けるのが漢(おとこ)だ」と決意し、婚姻届を提出するに至った。

夫は夫で、弱ってきた父(物故)の近くに住まねばという気持ちを持っていた。結婚を選ぶということは、そう遠くない未来に、生まれ育った関東圏を離れ、仕事を離れ、異文化に突入することと同義でもある。結婚を決意したときと大阪に引っ越すことに決まったとき、どっちが先だったかはすっかり忘れてしまったが、ここまで頑なに「実家を出ずに家族を支える」と思ってきた私の思い込みなんて実はたいしたことはなく、私の人生そこまで固執するほどの価値があるか?という問いに向き合った31〜32歳だった。仕事を辞めなければならない、つまり引っ越し後は無職、ということも「そんなに悪くないかなー」とまで前向きになれた。

前向きというよりは、もしかしたら、人生どこまで「思い通りにならず転がっていくのか」という実験でもあったように思う。さざれ石は巌にならずに、どこまで苔生さずにいられるのか。

32歳で大阪に移り住んだ。大阪のことを好きになろうと、歴史や近代建築や鉄道史などを勉強し、面白さがわかるようになってきた。関西ローカルの番組は性に合ったのか、楽しく見ていた。阪神のスタメンやローテーションが自然と頭に入り、世間話についていけるようになった。「谷町四丁目」「鶴橋」などのアクセントにも慣れ、鉄道移動にも慣れ、まあまあ迷子にならずに梅田を歩けるようになった。たこせんだけは食べ過ぎて「ごめん、せめて月1回にしてほしい」と頼んだ。いかなごくぎ煮半夏生のたこ、お正月の鯛の尾頭付き。はんぺんの入らないおでん。食文化を学んで黒門市場をうろうろするのは楽しかった。もちろん楽しいことだけではない。徐々に長くなる通勤時間、終電との戦い、根本的には理解できない言葉のニュアンス。親族まわりのごたごた、義父の入院と死、相続手続きに追われながら夫の東京への転勤決定。異文化での葬式は嵐のようだった。

そして疲弊しきって戻った36歳の東京。プライベートは徐々に落ち着き、仕事だって紆余曲折はあるもののそれなりにそれなりだ。そこから気がつけばもう6年。結婚をすると決めたときから、自分が思い込む価値観なんてよそから見れば吹けば飛ぶよな話であり、苔の生さない石であり続けるのだろうと思っていた。まあでも、それ以前からそもそもだいぶ転がってきたし、いつか落ち着きたいと思って落ち着いたためしは残念ながらない。きっとそういう人生がころころと進んでいくのだろう。

特別お題「『選択』と『年齢』」

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