Really Saying Something

雑文系ブログです。

敗戦の弁、あるいは入団会見

30年ちょっとかけてやったことと、2年くらいやった別々の、しかしどこか共通することが、たまたまこの1月に収束したので、なんとなく記録します。

小学生の頃から「中継ぎ役」が多く、なんやかや「とりあえず手渡されたので試行錯誤して最終走者につなぐ(たとえが野球じゃなくなった)」「つないだ結果は特に私が関与したことは関係がなかった」みたいなことが続くので、自分の人生はそういうものなのだろうと無意識に捉えていたような気がします。何しろ中学生の時に定めた人生の目標は「2人の親を見送る」だったもんで。もちろん大学まで進み、就職し、転職やら結婚やらを経てここまで来ているのではありますが、圧倒的に「現在を何とかしながら過去の整合性を取る、後始末をする」ことにフォーカスしており、将来や未来のことを考える習慣はありませんでした。また、それらは明確に苦手な事柄でもありました。

それらがたまたま、「ちょっと先のことを考えざるを得ない」局面に達した時、たぶん生まれて初めて腹をくくりました。私はずっとどこか逃げてる感覚があったんですが、腰を据えて先のことを視野に入れながら作業を進めるしかなかったのでした。ずっと中継ぎとしてやってきたけど、クローザーになりました。敗戦処理とまで表現するのは適切ではなさそうですが勝利したとは言いがたい。それでも一区切りつけるところまではいったかな、と。中継ぎではなく。そしてその2つの試合は負けは付かないけど防御率高くなっちゃったねみたいな感じに落ち着いた。

しかし、自分としては「まあよかったんじゃね?やったことないことをやろうとしたじゃん?結果は渋かったけどさ」と、わずかながら自己肯定感を高められる要素になり、別の球団でまたやっていきましょう、違うユニフォームに袖を通しましょう、という気持ちで2月を迎えました。

とはいってもめっちゃ変化が起こったのではなくて、単に自分の内面を多少変化させることができたという話なんですが、ここはブログで自分の庭なので、自分の区切りとして書きました。ここから先は先発投手になれるかもしれないし、打撃投手かもしれませんが、中継ぎではない進み方にシフトチェンジしていこうと思います。長年のくせがすぐすぐに矯正できるとは思えないけど、自分の中だけのちっこい成功体験はお守りになってくれそうです。