Really Saying Something

雑文系ブログです。

大阪から東京に戻って10年が経ったのでブログを書く

こういう節目にはブログを書いておくといいことがある。後から参照する時にめちゃくちゃわかりやすいのだ。Facebookにも投稿していたのは覚えているけどもう探し方がわからない。

というわけでタイトル通り、大阪から東京に戻って10年が経ちました。昨日なんとなく振り返っていて、2011年に大阪で見ていたテレビ番組はやけに思い出せることに気付きました。「魔法少女まどか⭐︎マギカ」「怒り新党」、あと「水曜どうでしょう」の高知までの原付旅。あれから10年経って有吉さんと夏目ちゃんが結婚することになるとは思わなんだ。

10年の間でさすがにいろいろな変化はありますが、人生を大きく変えた○○!!!みたいなことはあまりなくて、強いていえば初めて入院して手術をしたのが大きかったかな……?と思っています。あとはここ1年で老眼が進みました。これは悲しい出来事だった。パソコンもスマホも見づらい……。リーディンググラス(老眼鏡のことを私は頑なにこう書く)がめちゃくちゃ便利に感じるようになりました。

あとは46歳になってよくわからないけど心境の変化が訪れたのは個人的に感慨深いです。そう考えると今年が一番「人生変わった」感じがしますね。新型コロナウイルスの影響もあるかな、という要素は否定できない。リモートワークで家にいる時間が長くなったことで、「家と自分」みたいなテーマに向き合って結局負けてしまった(外で過ごす時間がないと気分的にだめ)し、新しい趣味(観る将)も得た。旅行か遠出を定期的にしないとストレスが溜まる性質であることにも気づいた。こうやって挙げてみるとあんまり直接的には東京も大阪も関係ない話になってしまいました。

大阪には2年ほど行けていません。緊急事態宣言が全面解除になったので移動してもいいだろう、とは思うのですが、感染リスク自体はあるので、年配の人が多い親戚筋に会いに行くのはやや憚られます。親戚の話はさておき大阪には遊びに行きたいんですが、手放しで出かけるのには抵抗感がありますねさすがに……。

梅田駅・大阪駅周辺はまあまあ歩けるつもりですが、他の地域の地理感覚は薄れつつあります。地下鉄のとっさの乗り換えとかももうできないかも。「前に住んでいた街」ではなく「住んだことのある街」になっていくのは早かった。でも、大阪南港から出るフェリーに乗りたいという野望があるので、まだまだちょくちょく足を運ぶつもりでおります。

生活の崩壊を防ぐ

この記事を読んだ。

結論だけ書けば「崩壊を防ぐどころか生活を確立していてすげー」という感想だった。すごい。ちゃんとしている。今時の若者、めっちゃちゃんとしている……。

我が家の崩壊っぷりを書いても世間には全く有用ではないので、せめて有用だと思えることを書き出したい。

3食食べることをあきらめない

子供の頃からめちゃくちゃな生活だったので、もし今親がTwitterをしていたら完全に育児愚痴アカウントになるであろう。あまりに朝ごはんを食べないので、親は猫のえさを選ぶがごとく「食いつきのよい食物」を探し、食べないよりはましだということでコカコーラとポテトチップス(カルビー)を朝に食べていた。何度でも書くが親は悪くない。自分でもなぜ朝にお腹が空かないのかわからないのだ。その後試行錯誤を経てトースト1枚、菓子パン1つ、というレベルなら食べられるようになる。運が悪いことに夫も朝の食が細いタイプなので、結婚によって矯正されるタイミングを逸した。最近ものすごく頑張ってイングリッシュマフィンを焼くところまで成長。

↑こういうのを使ってタンパク質を得られるようになった。

あとはチーズトーストとか。ジャムやバターなどに凝ることも頑張ってみたけど全然続かなかった。なんなら焼かない食パンをそのまま食べる方がいい、という崩壊っぷりなのだがタンパク質はとりたい。次の目標は「朝に野菜を食べる」。

台所は(比較的)きれいに保つ

私は「排水口の掃除」がめちゃくちゃに苦手なので、掃除をしなくて済むようにしたい。しかし、使うたびに拭きあげたり磨いたりするほどの根気はない(もしそんな根気があれば生活は崩壊したりはしない)。要はものぐさなので、ほどほどのところを保てるように片付けている。ほどほどにきれいさがないと台所に立つ気力がなくなって、あっという間に崩壊を超えて破綻する。

三角コーナーを使うとすぐに崩壊しがちなので、スタンドのようなものを置いて、三角コーナー用ネットを付けて使っている。

↑これではないけどこんな感じのもの。

ほどほどにしかきれいではないので、あまり人様にお見せできるような場とはいえない。これ以上意識を高めようとすると、ジェンガのごとく崩壊する。もっと高度な生活テクニックは専門の方の知見を雑誌とか本とかで得るのがよさそう。

本はあきらめる

これは既に崩壊済みので、考えること自体をやめている。精神衛生上「あきらめる」しかないといってもいい。

リモートワークの生活になって人様の本棚を垣間見る機会があるが、「よくぞ皆さまそこまできれいに保っているな……」といちいち感心してしまう。

どれくらいあきらめているか書こうとしたが、書けば書くほど悲しくなってくるのでそれもあきらめた。あきらめないと生活が維持できないし、ここを何とかしようとするならすべての本を捨てる方が楽ちん。

さすがに自分の中の旬を過ぎた本は、不定期にまとめてバリューブックスの買取に出している。手数料がかかるけど、程よく「積読」の罪悪感を打ち消してくれるのでそれくらいの方が助かる。


頑張って3つ出してみたけど最後のひとつは崩壊済みだったので結局2つだった。もう少しくらいは生活の向上を試みた方がいいのかもしれない、と少しだけ思った。

別のことから逃避するために仕事に打ち込むことってないですか

私はあります。

10年前(東日本大震災とは関係ないです)めっちゃつらかった時期に、1時間半×行き帰りの通勤時間と、仕事の8時間+αが救いになっていたことがありました。その時はまだ健康と体力と気力が全部あったので、逃避行動としての「仕事」は本当に楽しかったし、打ち込める環境でもあったし、通勤時間は頭の切り替えにちょうどよかったしで、なんとかその時期を乗り越えられました。

が、また微妙に逃避したい現実が出てきており、逃避行動としての「仕事」をしたくてたまらん、という心境になりかかっています。

10年経って、健康は微妙によろしくないし(具体的には太ったとか)、体力はどうしても落ちるし(まとまった睡眠をとらないと1日もたない)、気力もさすがに万全だとは言い難いし(負けるもんか!みたいな気合が足りない)、コンディションとしては分が悪い。

それでも逃げられないのが現実というやつで、今そんなに悲惨なことにはなってないけど、このままだったら遠くない未来に何かが降りかかってくるだろう、みたいなことが予測できるわけです。これはなかなか厳しい。で、10年前の成功体験(成功とは??)があるもんで、仕事に逃げたくなっている。客観的に考えるとこうです。

よくないですね。非常によくない。

自覚があるだけ救いがあります。今は日々現実と向き合う覚悟を半分くらい持てた感じです。10年より前の自分ならぶん投げてたであろう出来事に対して腰を据えて挑もうという姿勢が見られている。これはよい。

向き合おうとしている現実の出来事は、あんまりいろいろな方にほいほい相談できるタイプの内容ではなく、また「その時はこうするとよい」という指針はいくらでも存在しているので、私の腰の据え方ひとつで視点が変わるということもわかっております。

わかってて逃げたくなる時は、その事象についてめちゃくちゃ調べまくることで元気が出るというパターン(例:戸籍の仕組み)が私の中に存在します。なので今回もめちゃくちゃ勉強すればよいわけです。正解はある。要は正解に向かう勇気がないだけなのですね。

先は長い(はずな)ので、自分を良い方向にだましだまし、元気を充電し、どかんと腰を据えたいものです。