Really Saying Something

雑文系ブログです。

注意力とはいったいなんなのか

  • 電車に乗るときに「ドアが開くとき戸袋に手を引き込まれないようご注意」する
  • 電車に乗るときに手にスマホがある状況下になったら、ホームと電車の間にスマホを落とさないよう握りしめ直す
  • トイレを含むさまざまな場所にスマホを落とさないよう、上着・ズボンなどのポケットにスマホを入れない
  • スマホをかばんから出して置くときは水平で広い場所を選択する(水平と広いは両立できなくても可)
  • 会社から自宅に移動する場合、なるべく移動開始地点と最寄り駅にて夫にメールを送る。少なくともその時間・地点まではトラブルに巻き込まれず生きていることを伝えるため

これらは私が日常生活を営む上で要らぬトラブルに遭遇しないよう、日々意識して実践をしていて、複数人に確認したところ「普通の人は気をつけはするかもしれないが、特別には意識しないと思う」「もっとぼーっと生きている人の方が多い」という意見をもらった事柄です。

自分としてはドアに関してはやや強迫神経症気味ではあるものの(疲れているときに自宅のドアの施錠を連続して忘れたことがあるのでとても丁寧に確認している)、それ以外はそうでもないなというか、むしろ注意力が散漫であるので日々頑張ろうと思っていたのでした。

私は海外旅行に対して異様なまでの恐怖心があるのですが(詳細は長くなるので割愛)、語学が不得手、かつ判断能力が低いことにより致命的なミスをやらかしそうだというのが根底にあります。なので、バックパッカーとか世界一周とかに対して「すげー」と思うものの、欲求や憧れは自分の中にまったくない。そしてさらっと海外に行ってノートラブルで帰ってくる人を見るにつけ、「なんと冷静で判断能力が高く注意力のある人たちだ、私なんてまだまだだめだ」と思います。あえて文字に書き起こすとなんだか仰々しいのですが、だいたい思考はこんな感じです。

そんな感じでは疲れるのでは、と聞かれることもあるのですが、どちらかというと「自分は疲れるのが普通」であり、「疲れない他の人たちよりも注意力が劣っているために疲れるのである」という解釈をしていたため、ここ最近になって目からうろこが落ちるような思いをしております。

私の「いつかやってみたいこと」の中に、イギリスで開催される競馬の障害レース「グランドナショナル」を観戦しに行ってみたい、というのがあるのですが、私が生きている間にグランドナショナルが終わるとは考えづらいので、なんとか一生に一度の勇気を振り絞って出かけられたらいいとぼんやり思います。