Really Saying Something

雑文系ブログです。

好きか嫌いか

私は情けないことに、何かしらの制作物について(音楽でも、映画でも、文章でも)、好きか嫌いかを表明するということを本当に最近教わりました。人生比で。合うか合わないか、は割とよくジャッジする機会があったし、中身について喜怒哀楽を表現することはかなりあるけど、個人の好き嫌い、特に「嫌い」をどこかに出すのはよくないことです!みたいな小学生のような論理で長いこと生きてきたわけです。

なんでそうなってしまったかというと、私が「嫌い」だと感じる何かには私が、私の能力のせいで気づけない「良さ」があるはずだ、という思い込みがあったし、今も割とそう思っているのです。でもそれって単に、自分の「嫌い」という感情(または判断)を無視しているだけで、「良さの有無」とはまったく関係なかったのでした。

そういう意味では「合う」「合わない」のジャッジは結構いい線いってる手法なのでは?と思って、やたらと時間をかけて、うまいと思っていて自分にはとても書けないような良さを持つことはわかってるけどいまいち「合わない」ものを丹念に見てみました。そして、「嫌いというわけではないが好きでもない、うまいとは思うけど私にはやっぱり合わん」と再確認しました。再確認作業、ばかみたいなことやってる感じなんですけども、あんまり見たくないものを雑に扱わず、丁寧に向き合うのは、それはそれで価値のあることでした。敬意は持てるのだということもわかったし。

そして別にそれを声高に言うとか宣言するとかも必要のないことで、ただひっそり「嫌い」または「合わない」と思っておけばよくて、別にそのように思うこと自体は無理に否定しなくてもいいじゃん、という心境にやっと至れたのでした。

その丹念に見た時間のことを記録しておきたくてちゃんとブログに書きました。そして、好きなものはちゃんと好きだと言っていかねばなるまい、ときちんと思い直しました。