Really Saying Something

雑文系ブログです。

年齢に+24するのをやめた

タイトルは#わたしがやめたこと カテゴリーの記事一覧 - りっすん by イーアイデム|はたらく気分を転換させる深呼吸マガジンより。このシリーズ好きです。

先日46歳になりました。20歳の大学2年の頃に、大学の計算センター(って当時は呼んでたんですが、今はコンピュータールーム?とか?)で初めてインターネットというものに触れてから26年ですって。V6と同い年だね!解散するけど!

45になった去年の方が「アラフィフじゃん!」という気持ちが強いのかなと思って、1年たって46という数字を迎えてみたら、45より46の方が圧倒的にアラフィフですね。そりゃそうだ。でもこの1の差は何なのか、ぼんやり考えてみました。

40歳になる時も、35歳になる時も、あんまり年齢を強く意識してこなかったのです。負け惜しみでもなんでもなく「年月がただ積み重なっていく」という手応えくらいしか感じることがなく、「よくある若さを勘違いしたおばさん」的なあれなのかなと、ちょっと不安にもなりました。30歳よりは35歳、35歳よりは40歳、40歳よりは45歳の方が、比較してみれば楽しい。

それが、46歳を迎える2021年の初め頃に急に違和感を覚えました。老いたとか死が近づくとか具体的な現象ではない落ち着かなさ。これまでの45年が無、みたいな感覚でした。正直今も「私に積み重ねてきたことなんで存在するのか?」という気持ちでいっぱいです。無ってことはないじゃんさすがに、と気を取り直してはいますが。

そしてこのすっかすかな感覚はどこからやってくるんだろうと、たびたび考えてみました。

46という数字に鍵があると思いました。44から45も大差ないのになんでだ、と何度も振り返っても、あんまりよくわかりませんでした。

ふと、私の約1ヶ月後に70になる母親のことを考えた時に、大げさな表現ですが「これだった!!」とひらめきました。

(突然ですが)両親が離婚したのは私が31歳の時で、24で私を産んだ母親は当然(?)55歳。長く専業主婦として過ごした母親はなかなか生計を自力で立てるわけにはいかず、当時はまだ受給開始年齢が60歳だった年金の年齢にも届いておらず、いろいろあって、私が生活費を補填する形で生活が進みました。その直後(だった気がするけど思い込みかもしれない。あとで調べます)に、受給開始年齢が65歳に引き上げられ、ざっくり第二次ベビーブーム世代であり就職氷河期世代でもある私は思わず「せめて親ぐらいは逃げ切らせてくれよ〜、私はもういいからさ〜」と世の中を呪ったものです。世の中はすべて敵、ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つける勢いです。

とはいえ私も結婚してそこそこに丸くなり、徐々に世間様との折り合いをつけていくのですが(つけられたとは言っていない)、そこに受給開始年齢が70歳を選べるようになるみたいな話もあり、わたしゃ一生報われねえじゃねえか、と思ったものです。まあ世代的に報われないことはわかってるんですが。

そのあたりからあまり自分の年齢を自分のものとして考えなくなったような気がします。30代の「そのうち6年が厄年っていったいなんなの」という時期も別方面でいろいろありながらなんとか乗り越え、40代に入ってのとんだトラブルもなんとか終わらせて、いろいろあるけどなんとかなってるのでは?と思ったところに、46歳という年齢の事実としての重みがつきつけられたのではないか、と当初は思ってみたのでした。

が。

(ところで、年齢を重ねると書けないことが増えていくので、だんだん曖昧な言い方になりますね)

46に24を足すと、なんと70なのです。かつての私がめちゃくちゃに待ち望んだ(親の)70歳!!!

母親が割と早めに私を産んだので、「母親が45歳の時に私が21か、すげー」みたいな考え方をよくしていました。そして無意識に母親のその時点での年齢をカウントしていたのだと思います。

そして迎えた私の中のささやかなゴール。ここまで書いておきながら、母親の受給がどうなっているのか全く知らずに過ごしてきたので(卑怯なんですがあんまり考えたくなかったことでもある)、数ヶ月前におそるおそるメールしました。すると無事、受給を開始しているとのこと。これからも仕送りは続きますが、とりあえず、この後は世間様に堂々と頼ってよい年齢にまで押し上げることはできました。いやー、私が勝手に考えていたこととはいえ、離婚から15年、割と頑張ってきた。へろへろよろよろしながらも何とかたどりついた。

46歳になる年になんだか気が抜けてしまった。もう無意識のプラス24を待ち望まなくてもよくなった。こんなところが真相なのかなと思いました。あまりに強く望んだせいで内面化してしまっていた、ということにも気付きました。

母親が悪かったわけではない、けど確実に影響はあったんだと思います。離婚時に自分で生計を立てられた父親の年齢は意識することはなかったので。

それと同時に、もう自分だけの年齢を意識すればよい年齢(ややこしいですが誤表記ではないです)になってしまった「拍子抜け感」がやってきて、45年分、無では?という感じになったような気がします。そんなことはなくて、後の人生は好きなように生きればよいのだ、と頭ではわかっていても、まだなんだかすっかすかの感覚は残っています。ミッドライフクライシスも真っ青のすかすか感。ひどいことを書きますが「私がいきなり何もかも投げ出しても母親がそのせいで飢えることはたぶんない」という安心感の裏返し。

気づいてからは少しずつ脳内を整理してきていますが、こんなに長く時間が経ったのに、まだおおもとの家族に関する悪夢を見ます。記憶の整理をするために夢を見るとよくいいますが、だとしたら相当整理されてないんだろうね、という感じです。

まあでも、誕生日を迎える前に、そういう自分の呪いというか、内面化された何か、に気づくことができたのは、よかったんだと思っています。私はこの「内面化」という言葉があんまり好きではないのですが、図らずも自分で実証した感じになってしまって複雑です。

とりあえず、これからはいちいち自分の年齢に24を足さなくてよいわけです。古希だの喜寿だのはもちろん祝っていいけど、そこに自分のベースがあるわけではない、ということを、よくよく己に言い聞かせながら過ごしていく所存です。

ここまで構成も何も考えずに一発書きしたので、あちこち破綻していそうですが、このまま下書きに眠らせる可能性大なので投稿します。誕生日に公開できればかっこよかったけどなんかかっこつけすぎなので少しずらしました。