Really Saying Something

雑文系ブログです。

誰かとごはんを食べること

今年に入ってしばらくしてから、コロナ禍コロナ禍コロナ禍……という雰囲気が少しだけ緩んできたので、(もちろん三密に気を付けながらだけど)お会いしたい方に「ごはんかお茶に行きませんか?」というお誘いをするようになった。

ここだけ見ればごく普通のエピソードである。しかしtoyaという人物を長く知る人にとっては違和感があるのではないだろうか。自分で言うのもなんだけど。

以前の私は「自分から声をかけて、嫌がられたらどうしよう」「自分が誘うことで相手が困惑していたらどうしよう」などと考えるくせがあった。それがどうだ。自分から誘う日が来るとは思ってもみなかったよ。年齢を重ねてそれなりにうまく立ち回れるようになったという要因もあるけれど、自分でこんなエピソードを書けるように変化できるなんて思いもしなかった。

それはうっとうしく面倒な新型コロナウイルスのおかげ……といいたくないけど、要因としては本当に大きくて、普段何気なくするおしゃべりや雑談がほぼ失われてしまって、もうそろそろ自分が好きな誰かと会って話さねばダメになる、というある意味“底つき体験”をしてしまったことが大きい。また、そういう心境になりかけていた頃に、すごくありがたいお誘いを受けていそいそと出かけたのも大きい。会って話したい人にはそう伝えればいいじゃん、という気持ちを刺激してくれた。今世における恩人である。結構マジで。

「誰かとごはんを食べる」ということにこんなにも意味があるなんて、20代~30代の私が想像しただろうか。40代になっても人間変われるものである。20代の頃はお金がなくてせっぱつまっていたし、30代では多少大人になって「誰かと会う」「ごはんを食べる」を別々に理解したという感じだった。人生の折り返しを明確に過ぎてからわかることもあるのかもしれない(いや94過ぎまで生きてるかもしれないけど)。