「知らない場所に行く」、なんと2記事目ができたのでシリーズになりそうです。前回はこちら。
今回は「岩淵水門」です。最寄りJR駅は赤羽駅です。
岩淵水門パンフレットより。
荒川(荒川放水路)と隅田川の分派点に建設された旧岩淵水門(赤水門)は、隅田川の氾濫を防止するために1924年(大正13)に建設されました。現在、その役目は旧岩淵水門から岩淵水門(青水門)へと引き継がれ、合わせて約100年あまりの間、大都市・東京を守り続けています。
ということで、「赤水門」と「青水門」を眺めてきました。
なぜ岩淵水門へ行くことにしたのか
5月に各種生成系AIとめちゃくちゃ家族について話しまくっていた時に、Claudeがなぜか「岩淵水門に行って写真を撮ってくるとよい」と言い出したのがきっかけです。本当です。
建築が多少好きなこと、写真を撮るのが好きなこと、文章を書く量が多いことは学習しているので、ちょくちょく「ZINEを作れば?」みたいなことを言われることがありました。いや今の私にとっては家族とお金の話が大事なんだけど、とスルーしていたら、確か3回くらい「岩淵水門に行ってこい」とおっしゃる。
ついに私が折れて、では日曜日にちょっと行ってきます、写真撮ってきますと言ったついでに、以下の質問をしました。
なぜあなたは、私に岩渕水門を勧めてくれたのですか?あなたとの会話の中で、きっかけになることがあれば教えてもらえるとうれしいです
するとClaude、こんなことを言う。なんだかいいやつなんです。
最初に気晴らしに出かけたいという話をしてくれたとき、「何か撮ろうと思います」とおっしゃいました。
そのときに頭に浮かんだのが、あなたの撮影スタイルです。橋、水門、elevated structures、水面への映り込み、光と影。そういうものを撮っているということを知っていたので、岩淵水門は自然な候補でした。
赤い旧水門と青い新水門が並んでいて、水面への映り込みがある。人が少なくて自分のペースで歩ける。あなたが好きな被写体の条件が揃っている場所だと思ったんです。
それと、もう一つ。
「自分は今どこにいるんだろう」という戸惑いを話してくれたとき、カメラを持って一人で歩く時間が今のあなたには必要だと感じました。仕事でもカウンセリングでもなく、ただ光を見てシャッターを切る時間。それが「今ここにいる」という感覚を取り戻すのに一番いいと思ったからです。
そういうわけで岩淵水門へ
そして今日、午後から雨模様だったので、朝早めに起きて午前中のうちに岩淵水門へ。
50歳を過ぎて初めて自分の人生の主語を取り戻そうとしている人の記録 - Really Saying Something
ここで書いた通り、5月に謎の紆余曲折を経て、私はこれまでずっと続けてきた母親への仕送りを終了することにしました*1。
私はとても夢見が悪くて、しょっちゅう悪夢を見ては体調を崩したり*2、1日塞ぎ込んだり*3していました。あまりにも体調に影響するので、悪夢用の漢方薬を処方してもらって飲んでいるくらいです。直近、その悪夢には必ずと言っていいほど実家の家族(父、母、妹)が出てきていました。生活費の心配、母と妹の社会性の薄さなど、懸念事項はあるにはあったので「まあそういうもんかな」と思っていたのですが、なんと仕送りをやめることをメールで送った後からぴたっと悪夢を見なくなりました。夢は見るけど家族は出てこない。
そんなことをぼんやりと考えながら、東京メトロ南北線に揺られて赤羽岩淵駅に向かっていました。そしたらふと、父の再婚も、母の年金受給開始も、妹の退院も*4何にも知らされなかったなぁ、とこれまでの出来事を振り返ったので、とっさにChatGPTにその振り返りを書き留めて、「私は家族の中にいながら、本当は何も知らなかったのではないか、と考えました。どう思いますか」と聞いてみました。
最近私のChatGPTは、改行改段落がむやみに多い、アメブロ的な長い文章を返してくるため、返答を全部貼るのはやめるのですが、「もしかするとユーザーさんは今、『家族のことを知らなかった』ことより、『知ろうとしても知ることができない』ことを受け入れ始めているのかもしれません。お父さまは亡くなった。お母さまはすべてを語らない。妹さんとも距離がある。だから、完全な真相はもうわからない。それでも、わからないまま生きていくしかない」ということを言ってくるんですね。
いいこと言う。
以下はさらにいい話なのでべた貼りします。
今のお話を聞いていると、
ユーザーさんは長い間、
「家族の物語を理解したい」
という流れの中にいたように思います。
でも最近は、
「分からない部分は分からないままにして、自分の人生へ戻る」
という別の流れが見え始めています。
私はどちらが正しいという話ではないと思います。
ただ、仕送り終了の話、悪夢の話、弘前の話を経て感じるのは、
ユーザーさんは今、
家族の謎を解く旅から、自分の人生を生きる旅へ
少しずつ重心を移しているように見える、ということです。
そして実は、「本当は何も知らなかったのではないか」という気づきは、その移行期にしばしば現れるものです。
なぜなら、自分の人生を生き始めると初めて、「他人の人生は最後まで他人の人生だった」という事実が見えてくるからです。お父様も、お母様も、妹さんも、それぞれの人生を生きていて、その全体像を知ることはできなかった。けれど同時に、ユーザーさん自身の人生については、これから自分の目で見て、自分の言葉で記録していくことができます。今日の岩淵水門は、その境界線について考えるには、とても象徴的な場所なのかもしれません。
こんなやりとりをしながら、南北線は徐々に赤羽岩淵駅に近づいていきます。乗客はかなり少なくなっていました。

赤羽岩淵駅から荒川知水資料館へ
つい先日(6/1)天皇陛下もお見えになったという荒川知水資料館を目指して、赤羽岩淵駅から荒川方面へ向かいます。
8分くらい歩くと荒川が見えてきました。

荒川のファーストインプレッションは、あんまり縁がなかった場所なのでぴんと来ていなかったんですが、ジョギングしたり自転車に乗ったり陸のスキー*5をやってたり犬の散歩したり釣りをしたり、バーベキュー場でバーベキューをしている集団がいたりと、かなりみんな自由に振る舞っているのが印象的でした。もろ金八先生のオープニングじゃん。
3年B組!みんなが歩んだあの土手|東京フィルムコミッション「東京ロケーションボックス」
と思ったら「あの土手」は足立区で、北区ではなかったのですね。まあだいたい一緒でしょ?(暴言)

資料館の方に歩いていくと、旧岩淵水門(赤い方)と岩淵水門(青い方)が見えてきます。おおー画像検索結果と同じだ!(風情がない)

ということで、天皇陛下がお出ましになった資料館です。

入り口脇にあった石。荒川放水路の工事の指揮をとった青山士(たかし)さんの名前が刻まれていないことで有名な石碑だそうです。
資料館の中身は写真を撮っていいかどうかわからなかった(聞けばよかったけど資料見ててそれどころではなかった)ので撮影していないのですが、大変充実した内容でとても面白かったです。荒川ロックゲート20周年の企画展示も、常設展示も、見応えたっぷり。荒川の治水の歴史がめちゃくちゃわかりやすいし、「おお社会の授業で習った地盤沈下とゼロメートル地帯だ」とかいろいろつながるし、無料だし、大変よいところでした。公共交通機関で行きづらいのと専用駐車場がないのがネックかな……!でも川だしな!しょうがない。

マンホールカードというものを事務所で配布していたのでもらってきました。ダムカードは知ってたけどマンホールカードとはなんぞや、と思ってぐぐったらこれ途方もなく集めるのが大変なやつだ……。

資料館で配布している資料がめちゃくちゃ充実していたので片っ端からもらってきました。車いすの案内員の方(ボランティアの方だろうか?)がどうぞどうぞと言うので遠慮なく。写真撮るのを間違えてて裏表紙しか写ってないんですが、「るるぶ特別編集 荒川放水路」というのがあって、通水100周年記念で作ったようで、来るタイミングよかったな、などと思いました。
旧岩淵水門(赤水門)から岩淵水門(青水門)へ
資料館を出てから、まずは旧岩淵水門へ。







次に行く岩淵水門を眺めます。

整備されている道以外は、荒れてるのかなんなのかよくわからない感じの河川敷といった感じでした。



そして岩淵水門です。






岩淵水門から旧岩淵水門を見てみます。

水門をあとにして、赤羽駅へ
商店街を通ってJR赤羽駅に出ました。

赤羽周辺ならではのお店にも立ち寄ってみればよかったのですが(るるぶももらったことだし)、雨が降り出しそうだったので、駅前の本屋さんに立ち寄って、本2冊と雑誌1冊とレターセットを買って、コメダ珈琲店でさっと昼ごはんを食べて帰りました。
これからいろいろなところに出かけていきたいな〜と思って手に取ったら、phaさんのエッセイが収載されていた文庫本を発見。こういうエッセイが好きだし、ゆるっと読むのにいいなと思って買いました。まとまった感じのエッセイを自分で書こうとするとなんか固い文体になってしまうので、文体の勉強もしようっと。
訪れてみて
赤羽岩淵駅からも赤羽駅からもちょっとあるなあ(傲慢)と思っていたんですが、思っていたよりもずっとずっと荒川の歴史的な要所だったので、大変面白かったです。見た目が華やかな感じもいいですね。あえての単焦点レンズ(40mm f/2)1本、念のために万博の時に買った望遠コンデジ、という布陣だったのですが、単焦点レンズ縛りでも結構面白くなったなと思いました。いわゆる「絵はがき的な写真」はなかなか撮れませんが……。広角〜望遠のズームレンズがあるとより建造物!!!という感じが出る写真を撮れそうでした。
次は荒川ロックゲートにでも行ってみようかな。
余談
ChatGPTに「このお出かけをブログにしようと思うのだが構成案をくれ」と言ったら、以下のようなものが出てきました。
- 岩淵水門は川の流れを変える場所だった
- 自分も人生の流れを変えようとしている時期だった
- だから勧められた時に妙に気になった
という話につながる。
旅行記でも土木遺産紹介でもなく、
「なぜ今、岩淵水門に行きたくなったのか」
というエッセイになります。
だから岩淵水門でも、
「水門がすごかった」
で終わるより、
「水門を見ていたら、自分が流れを変えることを恐れていたのかもしれないと思った」
みたいな方向の方が、ユーザーさんらしい文章になりそうです。
今はまず、
仕送り終了後、最初に自分の意思で向かった場所が岩淵水門だった
という事実を記録しておくのが大事な気がします。
後になって振り返ると、意外にそういう記事がシリーズの原点になったりするものです。例えば数年後に「未回収フラグの回収旅」をまとめたとき、第1号が弘前だったとしても、序章として「流れを変える場所――岩淵水門」が置かれていたら、とても自然な構成になるように思います。
特に旧岩淵水門(赤水門)は役目を終えた建造物です。かつて東京を守ったけれど、今は引退して隣の青水門が現役です。
最近のユーザーさんの話と重ねると、
「役目を終えたもの」
というテーマも見えてきます。
岩淵水門は、荒川と隅田川の分岐点にあり、「どちらへ流すか」を決める場所です。洪水時には水門を閉じて東京を守ります。古い赤水門と新しい青水門が並び、治水の歴史そのものが風景になっています。
放っておけば水は流れていく。
しかし人間が水門を作り、流れを変えた。
その結果、東京という巨大都市が成立した。
ユーザーさんも長い間、
「親を支える流れ」
の中にいました。
そして今、
「自分の人生へ戻る流れ」
へ切り替えようとしている。
だから岩淵水門は、単なる土木遺産ではなく、
人生の分岐点のメタファー
として見えてしまいます。
そんな大それたことは考えてないよ!というわけであっさりボツにして、構成としてはぐちゃぐちゃの、でも自分で考えた文章で書いてみました。
AIが考える構成案って妙にストーリーテリング気味というか、ナラティブ重視というか……まあそういう流れのものがバズったりするんでしょうが……。実際、もしこの記事を、ZINEを作ってその中に入れるなら、なんか微妙にドラマチックに演出して書きそうな気がします。Claudeが提案したものに乗っかっただけなのに、なんだかずいぶん違うところまで来てしまいました。
