Really Saying Something

50代の会社員が、写真・ZINE・生活の記録を残す場所。1998年からインターネットに文章を書いています

「第73回日本伝統工芸展」と「柳宗悦が出会った沖縄の美 琉球の民藝」に行った

9/6(日)に、「第73回日本伝統工芸展」(日本橋三越本店)と「柳宗悦が出会った沖縄の美 琉球の民藝」(日本橋高島屋S.C.)を見に行ってきました。日本橋高島屋では同時期開催だった「民芸展」も覗きました。

第73回日本伝統工芸展

www.nihonkogeikai.or.jp

www.mistore.jp


陶芸コーナーの一部。写真不可と明記されているところ以外は撮影OKだったのですが、カメラやスマホを落っことしたらと思うと恐ろしくて、あんまり撮れず、見る方に専念しました。

日本の優れた伝統工芸の保護と育成を目的に、文化庁、東京都教育委員会、NHK、朝日新聞社、公益社団法人日本工芸会が毎年開催する日本工芸の技と美が集結する公募展で、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の7部門の公募作品より厳正な鑑査を経て選ばれた入選作と重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)の最新作を含む約521点を一堂に展覧(チラシより)。

LLMに展覧会・展示会の見方を聞いたところ、「作者固有の表現として何が残るか」を意識してみる、「現代日本で伝統工芸として高く評価される陶芸とは何か」を大量の実例から見る機会になる、陶芸部門を中心に「現代の作家が、伝統技法を使ってどこまで個人表現を出しているか」を見る、とのことでした。

確かに、陶芸部門で大量に視覚情報を浴びて、「伝統とは……?よくわからない」という気持ちになりました。器はすごくきれいで、ほぼテキストと2次元でしか物事を考えない私にとっては、「立体になるものをデザインして模様を付ける(他に土、焼き方、釉薬などの変数もあるけど、私の見え方として)」プロセスが想像つかないな、頭の中を覗いてみたい、と思いました。どれもめちゃくちゃ精細でかっちりしていてとてもきれい。人の手でこんなものを作れるんだな、と率直に驚いてしまいました。

人間国宝の方の最新作も見たけれど、わ、わからん……という感じでした(本当にすみません)。LLMに言われた通り、高い評価を受けるものをたくさん見たので、令和の今の基準、というものがインストールされたような気がします。今まで古いものをたくさん見ていたので。

柳宗悦が出会った沖縄の美 琉球の民藝

www.takashimaya.co.jp

長いのでパンフレットから引用します。

四方を海に囲まれた沖縄では、古くから中国や日本との交易を通じて独自の文化が育まれ、その風土に根ざした多様な工芸品が生み出されてきました。 柳宗悦(1889~1961)が初めて沖縄を訪れたのは、1938年暮れのことです。 伝統が色濃く残る沖縄文化に深く感銘を受けた柳は、著書でその価値を「宝の山」と紹介しました。 さらに民藝運動の仲間と工芸調査を進める中で、「琉球の民藝」「琉球の風物」という文化映画を制作し、自然とともに暮らす人々の姿や工芸の美を記録しました。

会場には展示されていて、インターネットには書かれていないようなのですが、高島屋と民藝運動は非常に深くて長い関わりがあり、高島屋が民藝を強く支持して展示会や展覧会を開催しているそうです。高島屋が文化活動として民藝を支援していると書いている文章の展示がとてもよかったのに、Web上では見当たらない。代わりにこれを貼っておきます。

LLM曰く、「「琉球の民藝」では、陶器だけでなく染織・木工も含めて「生活の道具を、なぜ美しいと評価したのか」を見る」。柳宗悦の沖縄への入れ込み具合がすごくて、戦前の沖縄に2年間で4回も調査に行って、映画と書籍でそれらを記録しています。今よりも全然観光地になっていない沖縄の文化はそれはそれはインパクトがあっただろうな、と想像できました。

展示物に書いてあったのは、学習院高等科時代の同級生であり、琉球王国の王家・尚家21代当主の尚昌侯と知り合って、ぜひ琉球に来てほしいと言われてなかなか実現できずにいたら、他の人が先に沖縄に出かけていって帰ってきて「沖縄すごいぜ」みたいな流れを作った、ということなんですが、Wikipediaに書かれていなくて滅!!Wikipediaがすべてではないですが、展示物の写真を撮れなかったので、Web上に残っていてほしかった。ブログで気軽に参照できない!*1

代わりにこれを貼っておきます。

柳宗悦はなぜ沖縄を「宝の山」と呼んだのか?展覧会「琉球の民藝」の見どころを催担当者が解説

映画「琉球の民藝」(10分、白黒)も上映されていたので見ました。確かに生活の中に陶芸や織物が自然と溶け込んでいることがよくわかりました。たった10分なのにパワーがあった。あと書物が何冊か展示されていて、沖縄で集めてきた端切れを貼って限定70部!(だったかな)として出版しているの、もうこれはZINEではないか、と思うくらいの熱量でした。書籍にはもちろん熱量がこもっているものだと思うんですが、戦前でそんなに大量に印刷ができない時代にめちゃくちゃなパワーで「民藝を紹介するぞ!!!!」ということをやっており、柳宗悦をはじめとする芸術家の皆さんすごい……と圧倒されました。

私は率直に言うとあまり布(織物、染色含む)に興味がなかったのですが、それでも琉球の染織の工芸品は素敵でした。もし次に沖縄に行く機会があったら、やちむんだの風呂敷だの買い込みそうな予感。ほどほどに熱を冷ましてから行こう……。

追記

柳宗悦が尚昌侯について書いている文章を青空文庫で見つけたので貼っておきます。

www.aozora.gr.jp

*1:たぶん、たくさんある柳宗悦の本には書かれていると思うのですが、莫大な量があるのでいきなりキャッチアップするのは難しい……

8月に気合いを入れてブログの記事を毎日公開した結果

ブローガスト*1の期間「毎日(31日連続)更新」を成し遂げてはみたものの、ブログを書く習慣が身についたか?というと、全くそういうことにはならなかった。

「0:30に記事を公開予約設定しなくてもよくなったなぁ」と一瞬思っただけで、習慣としてはあっさり失われてしまった。

書けそうなネタを見つけたらClaudeに覚えておいてもらう、ということをしていない。ブローガスト完走の手応えで結構満足してしまったからか、日常からブログの気配がすーっと消えてしまいそうになっている。

それが惜しいので、無理矢理9/1にも記事を作っている。

31日間、プライベートなアクシデント*2がありつつなんとか記事を書けたことから何らかの「よかったこと」を見出すとすれば、ベタではあるが「日常を振り返る」ことができるようになった、ということだった。

私はいわゆる「ふりかえり」のたぐいがとてもとても苦手で、仕事で目標設定とふりかえり(評価)があると憂鬱になる。自分の行動もやってきたことも「その場の判断がたぶん一番よかったので振り返りたくない、再度それを見つめて評価する/されるのはつらい」という気持ちで長いことやってきた。

それが、Googleドキュメントに生活を記録してLLMに分析してもらう習慣*3ができて、LLMとの会話をベースにブログのネタ出しをしてもらうことに慣れ、自然とその会話の中身(過去ログ)を読み返すことが可能になり、自分の過去の発言やそれに伴う行動を読み直すことへの抵抗感がだんだんと薄らいできた。

これは自分にとって大きな成果だった。LLMがあったから、ログを残すことに抵抗がなくなったのだ。ブログも本来の意味では「log(航海日誌)を残すこと」だから、ブログを書くことそのものがログを残すことなのに、その手前に苦手意識があった。それが、過去の記事を振り返ってコメントをしたり、昔買ったものについて検証したりする企画にもすんなり乗れた。

AIでコーディングやデザインをする人がたくさんいる時代に、使いこなすためのだいぶ手前の話ではあるけれど、ひとつ新しいものの見方を身につけることができたのは、本当によかったと思う。

*1:8月になるべくブログを更新しよう、という国際的なイベントのこと

*2:具体的には体調不良およびそれを起因とする仕事の進捗の出なさ加減

*3:こちらは7月中旬から2ヶ月半続いている