Really Saying Something

主に雑文系ブログです。他にバイク(VTR-F)日記とかTwitterのlikeまとめブログとかやってます。

誰かとごはんを食べること

今年に入ってしばらくしてから、コロナ禍コロナ禍コロナ禍……という雰囲気が少しだけ緩んできたので、(もちろん三密に気を付けながらだけど)お会いしたい方に「ごはんかお茶に行きませんか?」というお誘いをするようになった。

ここだけ見ればごく普通のエピソードである。しかしtoyaという人物を長く知る人にとっては違和感があるのではないだろうか。自分で言うのもなんだけど。

以前の私は「自分から声をかけて、嫌がられたらどうしよう」「自分が誘うことで相手が困惑していたらどうしよう」などと考えるくせがあった。それがどうだ。自分から誘う日が来るとは思ってもみなかったよ。年齢を重ねてそれなりにうまく立ち回れるようになったという要因もあるけれど、自分でこんなエピソードを書けるように変化できるなんて思いもしなかった。

それはうっとうしく面倒な新型コロナウイルスのおかげ……といいたくないけど、要因としては本当に大きくて、普段何気なくするおしゃべりや雑談がほぼ失われてしまって、もうそろそろ自分が好きな誰かと会って話さねばダメになる、というある意味“底つき体験”をしてしまったことが大きい。また、そういう心境になりかけていた頃に、すごくありがたいお誘いを受けていそいそと出かけたのも大きい。会って話したい人にはそう伝えればいいじゃん、という気持ちを刺激してくれた。今世における恩人である。結構マジで。

「誰かとごはんを食べる」ということにこんなにも意味があるなんて、20代~30代の私が想像しただろうか。40代になっても人間変われるものである。20代の頃はお金がなくてせっぱつまっていたし、30代では多少大人になって「誰かと会う」「ごはんを食べる」を別々に理解したという感じだった。人生の折り返しを明確に過ぎてからわかることもあるのかもしれない(いや94過ぎまで生きてるかもしれないけど)。

ケンコーのフィルター「ノスタルトーン・ブルー」


ノスタルトーン・ブルーというフィルターを買った。トイカメラやオールドレンズで撮ったような効果が楽しめるフィルター。わくわくしながら到着を待っていた。

とはいえ、いろいろ試したいんだけどなかなか時間が取れず、室内であれやこれや撮ってみてそれっぽくなったものを撮って出ししたのが冒頭の2枚。ちょっとその辺の公園までお出かけすればいろいろな被写体がありそうなのだけど、体調がいまいちなのと荷物を待っていたのとで散歩に行けずに土日が終わった。

1975年に生まれて40年以上経ちました

1996年にインターネットに出会ってもう25年以上経ってるってそんなことあります?(あります)

40代の自分語り(雑)、せっかくインターネット黎明期(の中では遅い方)にインターネットを始めた者としては、細々書いていきたいのです。先人がいない分野なので。役に立たなくても書き残したい。

というかこのへんの話題、観測するメンツが似てきているので、もっといろんな人の文章を読みたい。みんなどこで書いているの。

自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録

が、去年46歳になった時にそのあたりを書き切ってしまったのです。

toya.hatenablog.com

この時に感じた清々しさは目に見える形では保管しておくことはできなかったけど、思い返すことはできる。40代半ばでもこんな気持ちになれるんだ、というのは私にとってはかなりのインパクトでした。インターネット活動をしていると、40代以降は「老害」とされがちだし、実際にそうなっている可能性もなくはない。ロールモデルとなる人はいない。若者を支えたり、若者に譲ったりした方がよい。と思ってきてしまいました。

が。人生100年時代といわれています。普通の寿命で終わるなら「人生折り返しだなー」としみじみしていてもそれはそれでよかったはずだったのに、まだ折り返し地点にすら到達していないとは。「四十、五十は洟垂れ小僧」とはよくいったものです。私らは歌舞伎役者や能楽師か? 一般的サラリーマンは55歳、60歳、65歳それぞれで区切りがありそうなものなのに、まだ先があるのです。つらい。人生思ったより長い。

そうかと思えば、同世代の訃報に接し、なんとも表現しがたい寂しさを覚えることもあります。いろいろな40代の方の文章にあるように、40代に入ると急に「死」が身近に迫ってきます。去年は小学校の時の友達をなくしました。今年はインターネットを始めた頃から一方的に知っていて親近感を抱いていた人が亡くなってしまった。意外と簡単には人は死なないのに、意外と簡単に人は死んでしまう。それまであんまり考えなくてよくなった哲学や宗教学的な物事を考えないといけない場面が多くなってきます。そんなのすぐにシフトチェンジするの無理でしょ……。しかし、勝手に向こうから忍び寄ってくるので、否応なしに考えたり右往左往したり振り回されたりしなければならないのです。少なくとも私の人生はそんな感じでした。

20代~30代、それなりにいろいろあったけど、さらに急に“大人”になることを迫られるので、困惑している。困惑したまま6年経ちました。あと4年しかないので堂々たるアラフィフです。

50歳になる時に「本当に私の人生は折り返し地点を過ぎたのだ」と思えるでしょうか。どうかな。まだごにょごにょ「若者気分」の残滓をくっつけたままでいそうな気もします。いい加減“大人”にならないといけないのだなぁ、と思います。裏を返せば人生がまだ続くことを受け入れたということでもあり、まだまだ山あり谷ありの道をよいしょよいしょと進んでいかねばなりません。

同世代の皆さま、お互い健康には気を付けて歩んでまいりましょう。