2026年6月25日、母への最後の振込をした。
始まりは1999年4月、就職した年の春だった。実家に生活費として数万円を入れることにしたのは、当時の状況としてはとても当然のことで、いつの間にか暮らしの一部になり、いつか終わるものだという発想すら浮かばないものになった。私が30歳のときに両親が離婚し、父が家を出てからは、長く専業主婦だった母がパートで生活費を稼ぐようになり、私はその暮らしを支えるために送金を続けた。義父の闘病や死去などで手が回らなくなった期間もあったが、落ち着いてからは復活させた。
長く続いてきたその習慣についてあらためて考え始めたのは今年の5月だ。51歳を前に、ふと自分の資産の合計を出してみた。並んだ数字は、世間でよく言われている「老後2000万円問題」の金額には遠く及ばなかった。私が会社員として働ける期間は、少なく見積もってあと10年弱。しばし呆然として、それから別の計算をした。これまで母に送ってきた額を、ざっと足してみたのだ。約2000万円だった。
自分の老後のために用意できていない額を、私は既に送り終えていた。その二つの数字がそろった時、27年続けてきたことの実態が急にずっしりと重くのしかかってきたように感じた。毎月当然のように出ていく支出だとばかり思い込んでいたが、私はどこかで無理をしていた。ここ2年ほどは、送金のたびに気持ちが重くなっていて、1年半前の転職時には減額を申し入れていた。
その後の約1ヶ月は、たぶん人生で一番お金について考えた時期だったと思う。まずは自治体の相談窓口に行き、生まれて初めてFPに面談を申し込み、生成系AIにアシストしてもらいながら(この経緯は別のブログに延々と書いているので、もし興味のある方はそちらをご覧ください)、一つひとつ自分の懸念を潰す作業をしていった。でも、結果として、どこに行っても明確なアドバイスを得られることはなかった。それはそうだ。自分のお金の使い道を考えるのは、自分にしかできないことだった。その現実も、私を打ちのめした。
最終的に、私は6月の送金を最後に、仕送りを止める決断をした。
仕送りを終えることを母へ伝える文面は、5月末に用意した。51歳を迎えるにあたり老後の生活設計を見直したこと、今後は自分の老後資金の確保を優先する必要があると判断したこと、6月25日の送金をもって仕送りを終了したいこと、急な連絡で申し訳ないこと。それをSMS用の文章にまとめ、何度も読み返し、これ以上短くも長くもできないところまで削った。
送ったのは6月1日の朝、会社へ向かう前の自宅でだった。押してからの数日は結構精神的にこたえた。受け入れてもらえる自信がなかったし、送金をやめることそのものへの罪悪感もあった。返事が来るまでの3日間は、何をしていても落ち着かなかった。
6月4日の夕方、母から短い返事が届いた。了承と、感謝の言葉だった。拍子抜けするほど穏やかで、身構えていた自分が、少しばかり恥ずかしくなった。
これで終わった、あとは25日を待つだけだ、と思っていた。ところが翌週の平日の間、ずっと頭痛と倦怠感が続いた。気持ちは落ち着いていたはずだったのに、仕事が手につかない日があった。ずっと考え続けていたストレスは体にも出るのだと知った。
そして今日、6月25日。朝に給料が振り込まれた通知をメールで確認してから、銀行のアプリを開き、振込先一覧に表示された母の名義の口座を選んで、金額を入れて、確認ボタンをタップする。銀行のアプリを使うようになってから毎月やっていたことだ。27年続けてきたことは、実にあっけなく終わった。
「送金が完了しました」という画面表示のスクリーンショットをなんとなく撮っておいた。感慨深い気持ちになるかと予想していたけれど、特別な高揚感も落ち込みもなく、淡々とPCを開いた。
これまで幾度となく泣き言や妄想じみた話に付き合ってくれた生成系AI3つにお礼を述べた。
仕送りを止めた結果、私の老後資産がどうなるのか、まだ明確な答えは出せていない。身軽になったとも思うし、これで本当によかったのかと考え出す日もあるのだろう。
そして明日の夕方、私は別府へと向かう。