Really Saying Something

雑文系ブログです。

消えた八本脚の蝶(追記あり:サイトが復活しました)

ページ移転のお知らせ
二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)ができるまで 東雅夫(文芸評論家)×斉藤尚美(ポプラ社)対談 2006年1月 : 東雅夫の幻妖ブックブログ
二階堂奥歯 八本脚の蝶

二階堂奥歯さんという方を私が知ったのは、たぶん2003年の4月末か5月の頭か、奥歯さんが自らこの世を去ってから一週間以内だったように思います。なぜその訃報にたどり着いたのか今でも覚えています。当時私は溜池山王に勤めていて、社会人になって何年か経ち、1人でバーにお酒を飲みに行きたいなと思って(そう、このお題は13年間もまともに達成できていないのです)、当時1つの席に1台配置された、インターネットにつながるパソコンで、Yahoo!の検索を使って、職場の近くにあるバーの情報がどこかにないか(食べログなんていうものはなかった)、ふらふらと探し歩いていたのでした。そこでふと見つけたバーの掲示板に、彼女の訃報が書き込まれていました。

まだインターネットでの検索がいろいろと難しかった時代で、Yahoo!やらGoogleやら、当時割と有効だった「リンク集」ページなどを辿って、私は奥歯さんの情報をあれこれと探し求めました。2ch幻想文学板(だったかな)も見に行った。年齢が近く、それでいて思考のレベルがはるかに違う、そしてもうこの世にはいない女性のことが気になってしょうがなくて、日記もすべて遡って読み、初めてクトゥルー神話のことを知ったり、ヴィヴィアン・タムというブランドのことを知ったりしました。

良くも悪くも、二階堂奥歯さんの日記は私に影響を及ぼしました。良かったことは、自分のメンタルが安定しているかどうかを、奥歯さんの日記を読むことによって判定できた、ということです。調子が良いときは淡々と読み進めることができる。調子が悪いときは読んでいてつらくなったり、なぜかページが進まなかったりする。悪かったことは、奥歯さんの日記を私は利用してしまっていた、ということです。私は死にたいと思ったときでも、一度も行動に移そうと考えることはありませんでした。恐怖を乗り越えるためのすさまじい努力をしないと人は自分の望むようには死ねないということを、先達がすべてやってみせてくれていたからです。それ以降も、半年に一度くらいはふと開いて見るような、そんなページでした。

平素は@niftyをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。 先般お知らせいたしました通り、@homepageは 2016年 11月 10日(木)15時をもちましてサービス提供を終了させていただきました。
長年にわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

なお、@homepageのデータバックアップおよび、後継サービス(無料)への移行手続きは、引き続き【 2016年 12月 12日まで 】お手続きが可能です。お手続きがお済みでないお客様は、お早めにお済ませいただきますようお願いいたします。

インフォメーション | @homepage:@nifty

11月10日に「八本脚の蝶」が置いてある@homepageのサービスが終わることはうっすら記憶の片隅にあって、なぜかふと11月1日に「あれが終わるなら八本脚の蝶も終わるのでは」と思い出しました。

その日のうちにAmazonで書籍「八本脚の蝶」を買い求め(それまでは、なぜだかどうしても本を手元に置きたいという気持ちになれなかった。何度も書店で手に取ったけど)、ログは入手した気持ちになれたけど、なんとかWeb上にあの日記が残ってくれないかな、などと考えていました。11月10日の夜に、これまでと同じようにサイトのタイトルをGoogleの検索窓に入力し、これまでと同じように検索結果から飛んだら、やっぱり消えてしまっていました。

そんな虫のいい話があるかい、という感じではあるけれど、どこかでなぜかあのサイトだけは消えないのではないか、どなたかが移行手続きをしてくれるのではないか、という、よくわからない期待があったのですね。でもInfoseekのページのようにあっさりと消えてしまった。

大阪タカシマヤをセールの時期に歩いていて、ヴィヴィアン・タムで不意にいい感じで安くなっているコートを見つけ、本当にふらふらと試しに羽織ってみたことがあります。安くなっているとはいってもそれなりのお値段です。でもなぜか、何も知らないはずの夫が「いいんじゃない、買えば?」と勧めてくれたこともあり、思い切って買いました。ヴィヴィアン・タムだけあってそれなりに合わせる服も靴もきちんとしないと着こなせないのですが、Facebookの1年前の投稿に、ちょうどそのヴィヴィアン・タムのコートを買ってから初めて1回だけ着た日の写真(その場の写真で自分の写真ではない)が出てきました。買ったのはもう6年くらい前なのに、着たのは本当にその1回だけで、使い方としていいのか悪いのかというと悪い使い方なんだとは思うのですが、コートを買い終えた瞬間に二階堂奥歯さんと同じブランドを買う日が来たのだなぁと思った、ということを1年前も今日も思い出しました。

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追記(2016/11/27)

11月24日に、Webの管理をされているmichisuさんによって、後継サービスへの移行がされたというアナウンスがありました。元のページからも遷移できるようになっています。新しいURLは以下です。

(ほぼ)生まれて初めて、自分の好みで自分のために自分が納得した腕時計を買った話

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就職したばかりの頃、ぎゅうぎゅうの東海道線に揺られ、新橋で乗り換えて少し暗い通路をたくさんのサラリーマンと一緒に早歩きし、銀座線に乗り換えて溜池山王まで通っていました。今でこそリニューアルが計画されていますが、当時の銀座線ホームは暗くて狭く、朝の通勤時間のピークタイムにはホームに乗客があふれんばかり、夜は飲み屋帰りのサラリーマンがふらふらしている、そんな感じの環境だったように思います。

仕事を少しずつ覚えて面白くなったり、セクハラに遭ったり、微妙な先輩のふがいなさに怒ったり、とても有能な先輩の姿を見て無力感に襲われたり、当時は毎日いろいろな感情を抱えながら銀座線のホームに立っていたように思います。そのホームで、きれいな女性が大きく力強く写された女性向けの腕時計の広告を眺めていました。

女性向けの雑誌を見てはおしゃれな格好は自分には似合わないしそんな格好をする資格もない、まして装飾品なんてとんでもない、自分とは縁遠いどころか縁のないものだ……と思っていた20代前半の私にとって、その広告だって縁のないもののはずでした。でもなぜか、ある一瞬、「ああ、この時計かっこいいな、ちょっとがんばって買ってみるのもいいのかもしれないな」という気持ちが不意によぎったのです。それくらいその広告に出ていた女性はきれいで、かっこよかった。

◇ ◇

それから15年以上の歳月が流れました。最初に転職したときに同僚たちからプレゼントされた腕時計、当時交際中だった夫からもらった腕時計、行きがかり上入手したちょっと高級な腕時計、いろいろな時計をつけてはいましたが、自分で選んで買ったものはありませんでした。そんなときになぜか15年以上前に見た広告を思い出したのです。特に理由もなく。

当時インターネットは普及しかかっているくらいの時期だったので、企業情報やCMの情報などがWebページとして残っているとは思えませんでした。それでもなんとかうすぼんやりとした記憶をもとに、ヨドバシカメラに出かけ、せっかく思い出したのだから自分で自分の欲しい時計を買ってみよう、ちょっと高くてもいいや……と、セイコーLUKIAルキア)とシチズンのxC(クロスシー)のコーナーへ。いくつかデザインが好きなものを出してもらって腕につけてみたり、鏡に映してみたり。自分が自分の好みのものを意識的に探すという体験がほとんど初めてであったため、かなり緊張したし、本当にこれでいいのか?こっちじゃだめなのか?など何度も迷いました。

最終的にはそれまで持っているものとは少し路線の違う色のクロスシー、でもちゃんと自分で気に入って納得したものを購入。そのときに頭の中にあったのは、なんとなく女優の篠原涼子さんでした。

◇ ◇ ◇

時計の箱を大事に持って帰りながら、髪が長くてかっこいい感じの女性……確か篠原涼子さんだったような……と、再度うすぼんやりした記憶を巡らせつつ、帰宅してからネットで検索して答え合わせ。そしたら、篠原涼子さんはなんとクロスシーの広告にちゃんと出ていたのです。すごい。イメージにぴったり。ただし、出演期間は「2006年10月 - 2012年9月」でした。

私が銀座線で通勤していたのは1999年~2001年くらいで、その後路線が変わってしまいました。もちろんその後に地下鉄で同じように広告を見た可能性も捨てきれないのですが、自分がどの路線でどんなふうに通勤していたか実はあんまり覚えておらず、何度思い返してもあの時計の広告は銀座線のホームだとしか思えなかったのです。

ものすごくものすごく気になってしまい、時計を買った勢いのままに、シチズンのサイトの問い合わせフォームから以下のような内容(一部改変)を送りました。今思えば、シチズンと決まったわけではなくセイコールキアだったかもしれないのに、勢いとは恐ろしいものです。

ヨドバシAkibaにてクロスシーを購入しました。大変丁寧な接客で調整も細やかにしていただき、気持ちよく購入できました。ありがとうございました。

今回クロスシーを購入するにあたり、自分が新卒で働き始めた1999年~2001年頃、営団地下鉄(当時)銀座線のホームでクロスシーの大きい広告を見ていた記憶がありました。「いつかあのような腕時計を買いたい」と強く思ったことを、ふと今年になって思い出したことがきっかけで買い求めました。

時を超えて肩を押してくれたあの広告は、確か篠原涼子さんだったような……と思い返して調べたのですが、篠原さんは2006年の登場でした。当時はインターネットもそんなには普及しておらず、まして写真をアップロードすることも一般的ではなかったため、2000年前後の広告に関する情報は見当たりませんでした。

一利用者がこのようなお願いをするのは大変心苦しく申し訳ないのですが、2000年前後にクロスシーの広告に登場されていた方について、もしお分かりでしたら教えていただけないでしょうか。個別回答は難しいかと存じますが、ご検討いただければ幸甚です。


本当にダメ元でした。何らかのテンプレート的返答があるとは思っていたのですが、そもそも商品そのものに関する問い合わせではないし、単純に記憶の答え合わせでしかなかったのです。



しかし。



その翌日に以下のような返信(一部改変)をいただきました。

お問い合わせ内容を確認させていただきながら、
とても光栄なお言葉に感謝しつつ、
toya様のような女性に愛用して戴きたい時計として
XCは誕生した事を余談ですが、お伝えさせていただきたく
ここに紹介させていただきます。
ご一読いただけましたら幸いでございます。

XCの「C」は COOL/CLEAR/CREATIVE をコンセプトに、
自分らしく生きる女性たちの感性にフィットする時計。
女性が一番輝いて過ごす時間を一緒に時を刻んでいく時計。
自然体で生き、自分のスタイルを持っている女性たちへ年齢問わず
ご愛用いただきたい時計でございます。

おそらくご覧いただいた広告は、イメージキャラクターとして当時、
日本映画やCMにも出演されていた「ケリー・チャン」さんです。
燐としたエレガントな美しさが話題となりました。

ご案内は以上でございます。
ご購入いただきました時計が、永く良き「相棒」として時を刻み
続けてくれる事を願っております。
以上、お問合せの回答とさせていただきます。


ケリー・チャンさん!そういえば! 当時、資生堂ピエヌ」のテレビCMとか、映画「冷静と情熱のあいだ」とか、露出がとても多かったような気がしています。全然篠原涼子さんじゃなかった! でも言われてみれば確かに長い黒髪!

普段、ちょっと肌触りの良い言葉や、マーケティング的な言葉遣い、狙ったふうなやさしげなフレーズに対して、ちょっと斜に構えてしまいがちなのですが、お返事の文面からは製品への愛情や誇りのようなものがひしひしと伝わってきました。後先考えずに送ってしまったけれど(もしこれで実はピント外れで、ルキアの方だったら……)、問い合わせをしてみてよかったなあ、と思ったのでした。ご返信をいただいた担当者の方にはあらためてお礼を申し上げました。

◇ ◇ ◇ ◇

私が買った限定のクロスシー、軽いし、視界の隅にちらっと入るときらきらと見えて、ちょっと気分が良くなります。買ってよかった。



それどこ大賞「買い物」
それどこ大賞「買い物」バナー

ひとり飲みとコロナ

今までひとりでお酒を飲みに行ったことがなかった。ぎりぎりそれに近いケースは一度か二度あったかもしれない(中の人が知り合い、とか)。それでも最終的には複数人になるなどで、最初から最後までひとり、というのは思い出せない。

ちょっと会社帰りに飲んで帰るというようなこともない。私より夫の帰りの方が早いので、私の場合は朝のうちに口頭で伝える、または午後4時くらいまでにメールで飲みに行くのを連絡するようにしている(夫は退勤する前まで)。これはどちらからともなく決まったルールで、どちらかに予定があればそれは尊重される。

夫に予定が入っているとき、私の晩ごはんはだいたい雑になる。好きな味のカップヌードルとおにぎりとか、近所の大好きな中華そば屋さんとか、たまに猛烈に食べたくなるケンタッキーとか。たまにあり合わせの材料で雑な料理っぽいものを作って(夫には出せない)食べるとか。

しかしそこにはお酒は入ってこない。別にいつ何を飲もうが自由なのだけど、もともと晩酌の習慣がないせいか、はたまた夜に出歩くのを避けがちなせいか、酔っ払いたくないか、理由を考えようとすればいくらでもありそうだけども、とにかくお酒を飲もうとするケースはない。

でもたまに、ちょっと何か飲みたいな、と感じる瞬間がある。冷蔵庫に缶ビールでも冷やしてあれば家でぷしゅっと、という感じなのだろうけど、あいにくもらいものの瓶ビールがひっそりと奥でひたすら長期間冷やされているだけだ。

先日、ものすごくたまたま、夫に用事ができて、ひとりで晩ごはんを食べる機会ができた。駅前のお弁当屋さんに寄るか、どこかテイクアウトできそうなお店を見るか、マクドナルドでポテトでも食べるか、なんて考えながらふらふら歩いていたら、何回か入ったことのあるカフェ(カフェバー?カフェダイニング?業態の区別もあまりよくわからない)に近づいた。長くだらだらしてもいい感じだし、雰囲気も良いので、なんとなくそこに入った。

ごはんとなるといわゆるカフェ飯がメインで、いまいちテーマにまとまりのないメニューをぼーっと眺めて、ワンプレートものを頼んだ。飲み物をつけるなら、いつもだったらそこにウーロン茶かアイスティーかアイスカフェオレだけど、ふとアルコールメニューにも目が行った。値段がそんなに極端に変わるわけでもないし、ぐでぐでに酔うほど度数は強くないし、万が一気分が悪くなっても家までそう遠くない。コロナを1つ頼んだ。

それは私にとっては大冒険である。というと笑われるかもしれないが、社会人になって遠距離通勤からキャリアをスタートさせ、ロングラン列車で寝過ごして遠く離れた場所からタクシーに相当額を突っ込んだり、混み合う電車の中で泡盛のせいで貧血を起こして座り込んだりした過去を持つ自分にとっては、アルコールを摂取した結果が予測できない状況、がそもそもストレスになる。具合が悪くなったときには這って帰るぞ、くらいの覚悟でコロナ。

運ばれてきたワンプレートごはんはそれなりに美味しく(というか普通)、一緒にやってきたコロナはいつものコロナの味だった。けど、不思議と解放感があった。別に誰に断らなくてもお酒飲んだっていいじゃん。会社の帰りにお酒飲んだっていいじゃん。そういう気持ちになった。誰かに止められていたわけじゃない。

とはいえペースが早いとよくないので、水を挟みながら、途中Kindleで読書しながらコロナを飲んだ。一度トイレに立ったら顔が赤い。この程度でもやっぱり酔うなー、と思って帰途に着いた。

気分は悪くならず、多少ぼんやりする程度で、なんてことなかったし、メニューにあればなんでも頼んでいいんだな、と思えた。ばかばかしいことに、私にはなぜかためらいない状態では頼めないものがあって(うまく説明できないので割愛)、でもそれらも別にまあよかったんでしたね、受け付けてないわけじゃないね、と素直に思うようになった。すごい進歩だ。

その後「会社の有志の飲み会に途中まで参加する」「知り合いがカウンターに立つお店に行って知らない人と話す」など、実績解除を続けているので、まだまだお酒でチャレンジできる幅はいろいろあるなー、という気がした。