Really Saying Something

雑文系ブログです。

たべぞうさん、お楽しみ袋欲しい!(大阪で印象的だったお店+行ったことがないけど気になるお店)

なんと大阪から東京に戻ってきて早くも7年が経とうとしています(2018年10月1日で丸7年)。所用でちょいちょい大阪に行くことはあるんですが、あんまり観光をする余地はないし、かといってわざわざ大阪に観光に行くのもなんかもう別にいいや……という感じで、大阪で美味しかったお店とかの情報がぱっぱと出てこなくなってしまいました。

過去に自分のブログなどで紹介したお店も合わせて、今のうちに記憶を残しておこうと思います。あと、文字通り骨を埋める覚悟で大阪に行ったもんで、「そのうち行くだろ」と思ってて行かずに終わったお店もあるので、将来の自分に託します。

タイトルは たべぞうさん、お楽しみ袋欲しい!その24 - CROOK リスペクトです。もともとははてなキーワードを使ったプレゼントキャペーンでしたね。

ミナミ(主に心斎橋周辺)

道頓堀 今井 本店

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今や大阪のあちこちに支店がありますが私は本店派です。おれは夏でも鍋焼きうどんを頼む女なんだぜ……! だいたい何食べてもうまい。関西風の上品なだしと関西風のしっとりしたおうどんです。丼ものもあるよ(私はうどんが好きすぎて丼を食べた記憶がない)。

重亭

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雰囲気のある洋食屋さん。皆さんハンバーグやオムライスを推してますが、私はかつて関西ローカルの「よゐこ部」(MBS)で紹介されていた「ハイシビーフ+トースト」の組み合わせばっかりつい頼んじゃうんですよね……。トーストはバターがたっぷり塗られていて香ばしく、そのトーストをハイシビーフに浸して食べるとさらにうまいという食べ方でした。いつかハンバーグ食べたい。

はり重

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肉の万世」と同じ方式で、階が上がると肉の質と値段が上がります。私はグリルとカレーショップしか行ったことない……。カレーショップももちろん美味しいです。交通の便が圧倒的に良い。

自由軒

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夫婦善哉」で有名な織田作之助と縁の深い洋食屋さん。まあまあな確率で並ぶし店内は狭いので、上記洋食屋さんとは雰囲気が違います。ごはんとカレーが混ざった状態に生卵が乗ってくる「名物カレー」、私の本来の好みだと生卵が食べられないので絶対に口にできないと思っていたんですが、「名物だし」と思って一度チャレンジしたところ、「これは確かに卵を混ぜると美味しい」と納得しました。卵抜きでカレーとごはん部分だけ食べるとちょっと味が足りないので不思議。しかしその一度きりで、あとは他のメニュー(チキンライスとかオムライスとか)ばっかり食べています。生卵が大丈夫な方はぜひ名物カレー食べてください。

天下一品 法善寺店

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どこにでもある天下一品の店舗ですが店舗ごとに味が違うのはもうラーメン界では常識ですよね? なぜか法善寺店、オリジナルメニューも多いし、なんとなく味も違う感じで、法善寺横丁にどーんとあるのでついふらっと入りがちでした。ちょっと内装も凝ってる。

551蓬莱本店

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自由軒」と「せんば自由軒」があるように、「551蓬莱」と「蓬莱本館」があります。めっちゃむずい。海鮮焼きそばがとてもとても好きなのですが、これを書いている今、本当に私は551蓬莱の方のお店で食べてたんだろうか……?と心配です。

クレープリー・アルション

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雑に休憩のために入ったお店が大当たりだった例。テイクアウトもできます。ビルがかわいいのでのんびりクレープと紅茶で休憩するために行っていました。

総本家 更科

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最寄り駅が恵美須町か動物園前なのでミナミ扱いにすると遠すぎる気がする。雰囲気のあるおそば屋さんで、うどんが美味しいです(矛盾)。そばが有名なんだけどうどんが好きなもので……。あとだし巻き卵も頼むと幸せな気持ちになれると思います。

Revo

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最寄り駅が岸里天下茶屋なのでミナミ扱いではない気がする。めっちゃ美味しい洋食屋さん。煮込みハンバーグ最高でした。いつかお金と心にゆとりがある時が来たらステーキ食べたい。

とんかつ一番天下茶屋本店

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最寄り駅が天神ノ森か聖天坂(阪堺電車)、岸里玉出天下茶屋(南海)、岸里(大阪メトロ*1)なのでミナミ判定されない気がする。これは写真をすぐに探し出せたぞ!とんかつ美味しかったなー。ごはんが無慈悲なまでに多い印象がありました。

ミナミとキタの間(ざっくり)

愛宕

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めちゃくちゃ好きなうどん屋さんでした。テイクアウトもよく利用しました。近所にできないかなー。一品ものが美味しそうだったんですが、うどんが好きだったのでうどんばっかり食べてました。

オステリア・アバッキオ

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「ちゃんとしたお店」で「ちゃんとしたサービス」を受けるという体験を初めてしたお店でした。安くておいしくてフランクで、このお店で「緊張せずに美味しいものを食べる」ことを学ばせてもらいました。お店の皆さんは優しいし(当たり前?)、ランチもディナーもお手頃で本当に良いお店だった……。今はなかなか足を延ばすことができなくて本当に残念です。谷六周辺の人はぜひ!!!!

エクチュア からほり蔵 本店

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何も知らずに松屋町あたりをふらふら散歩してて見つけた大当たりのお店。おしゃれな感じの店内で風味たっぷりチョコレートのスイーツと紅茶をぜひ! 手土産にもどうぞ。

もなみ

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テレビでもミーツ(雑誌)でもちょいちょい有名店なのでいきなり行って入るのは難しいかもしれないです。ハンバーグが有名。ディナータイムの開店前から張り込んだら一発で入れました。当時写真をガラケーで撮ったんですが、店内が意外と暗かったのか、ネットに上げるレベルにならなかったのをよく覚えています。これ↓


○△□焼 冨紗家 本店

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松田優作さんが映画撮影中に通ったことで知られているお好み焼きのお店。「豚もやし」のことを「優作鍋」って呼んでたんじゃなかったっけな? ぐぐっても出てこない情報だったので、関西ローカル番組で見かけたのかもしれません。豚もやしは家でもまねできるじゃん!と思って何回か自宅で近いものを作りました。とんぺい焼きも美味しかったです。

鶏屋 國型製作所

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焼き鳥のお店割と多いんですが、その中でもダントツに美味しかった。何を食べても大当たり。その代わり予約が取りづらくて1回しか行っていません(その1回も知人に取ってもらった)。今は少し支店ができてるようなのでめでたい限りです。

キタ(梅田周辺)

揚子江ラーメン

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再開発で古い横丁から新しくきれいなお店に移転。横丁時代もよかったけどしょうがないですね。ラーメン屋に当たりがないことで有名な(私見です)大阪ですが、揚子江ラーメンだけは異色の存在です。関西風だなーという感じの塩ラーメン。あっさりしてて透き通ってるスープで飽きが来ない!(私見です)。毎回塩ラーメンばっかり食べてるので他のメニューのことを知らないのが弱点です。

梅田はがくれ 本店

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今ぐぐって「本店……?」ってなりました。他にも出店してるのかしら(サイト見たけどなさそう)。生じょうゆかぶっかけがおすすめメニュー(公式)です。「うどんは刺身」っていうキラーフレーズがあった気がする。店主は女性客には食べ方を指導してくれるという伝説があり、私も教えてもらいましたが、今でもそうなのかな。カウンター席しかないのでがんばって並びましょう。

近畿大学水産研究所 大阪店

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近大マグロが有名になってグランフロント大阪にお店ができたので「行こうぜー」ってノリで行ったらほんとに美味しかったお店。マグロ以外のお魚もおいしいです。できた当時に行ったもんでだいぶ激戦で、開店前に並ぶことによって席を確保しました。今はどれくらい混んでるかわからないですが、近大マグロを応援しています。

リーガロイヤルホテル(大阪) メインラウンジ

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一度リーガロイヤルホテルの商品券をもらってお茶しに行ったことがあり、その体験がとてもよかったので、ちょっと前に大阪に行ったときにアフタヌーンティーを食べに(飲みに?)行きました。偶然にも庭に近い席に通してもらえたので、いい感じにくつろげたし、お茶も美味しかった。コスパ良い。

五感 北浜本店

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大阪の近代建築が好きなら楽しんでほしい! スイーツや軽食メニューもいいし店内の雰囲気も素敵です。北浜を「梅田周辺」でくくってよいのか悩みましたが……。ついでに中之島周辺を散歩してくれ!!

花くじら

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本店含め3店舗あるんですが、私が行ったのはたぶん「歩店」。関東のおでんって割とはんぺん入ってるじゃないですか。関西だとはんぺんはかなりレアキャラで、花くじらのメニューにははんぺんがあるんです。大阪生まれ大阪育ちの人が「はんぺんっておでんに入れないですよね」って怪訝そうにしてたのが印象的でした。もちろん美味しかった。「ねぎ袋」も美味しいです。欠点はとにかく混んでる。予約も大変。最寄り駅は福島駅です。

行ったことないけどいつか行きたい

れだん(谷町四丁目

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id:zaikabouさんが紹介しまくっていることで周辺界隈での知名度が異様に高い居酒屋さん。これまでおおっぴらには言っていなかったのですが、大阪時代の1年ちょっとだけ、谷町四丁目が最寄り駅だった時代があったのですよ……(上記愛宕屋もそれで通ってた)。行っとけばよかったけど知らなかったからしょうがないっすよね……。

*1:初めて書いたし書き慣れない!!!! Osaka Metroとかいやだ!

人が怖くなった時の話

だいぶ昔のことなので詳細は事実とずれてるかもしれないけど、うまくフェイクになってくれるかもしれない。

小学校高学年から中学生にかけて、「歌謡曲」という雑誌をよく買っていた。本来であればコード進行などがわかってギターやピアノの演奏などに使用するためのものなんだろうけど、当時コードとは何かすらよくわからなかった私は、専ら好きな曲とメロディーを見て、たまにソプラノリコーダーか鍵盤ハーモニカで吹き鳴らしてみるというのをやっていた。中学2年からは吹奏楽部に入ってクラリネットを吹いたけど、これまた音楽の素養がなかった私は、自分のパートの楽譜がB♭管用であることをあんまり理解していなかった。とにかく自分の好きな歌謡曲を覚えるために使っていた。

確かその雑誌の後半に、文通相手募集とか、一緒にコンサートに行く人募集とかのコーナーがあって、雑誌の切り抜きやグッズの交換も行われていた。今思えば大変な大らかさだ。私は何かのきっかけで、当時大好きだったCHA-CHAの何かの切り抜きを交換したことがある。その時に、自分の住所と名前が掲載された。交換相手は、かなりガチの追っかけの人だったようで、どこかのロケに行って誰と話した、という内容の手紙が何回か届いた。私は何を書いていいか全くわからず、テレビ番組の感想を書いたものを返事として送った。私から提供できるような情報は何一つないのだ。その追っかけの人は、しきりに「のり切手を使って」と言っていた。私は「のり切手」がわからなくて、質問したけど、明確な返答はなかったような気がしている。後にインターネットでふと思い出した「のり切手」を調べたら、切手を貼った上からのりを塗り、消印が押されても水にふやかしておくことで再利用するためのテクニックであった。だめじゃん犯罪じゃん。「のり切手」の彼女は、私が有益な情報源ではなかったせいか、何通か手紙を往復したあたりで疎遠になった。

もう一人、雑誌に掲載された私の名前宛てに手紙を送ってきた人がいた。かなり遠方で、身近にCHA-CHAの話ができる人がいないから友達になってほしいといった内容だったと思う。申し訳ないけど字がだいぶ汚くて、住所をもとに地図帳を開いて、この辺か、とあたりをつけた。そりゃ遠かろう、と思った。しかし、私は番組観覧を単独で申し込める年齢ではなかったし(保護者必須)、さっきも書いた通り追っかけでもなかったので、さして面白い手紙を書けるわけではなかった。ざっくりした手紙がきて、何を返答していいかわからず、完全に当たり障りのないことを書き送っていた気がする。

ある日、電話がかかってきた。母が受話器を取り、私宛ての電話だけど聞き取りにくい声で誰かわからないと言った。いたずら電話ではないかと家族中が警戒する中、電話を代わると、ぼそぼそとした声で、手紙の主の名前が告げられた。大変驚いた。手紙を書くときの常として、自宅の電話番号を末尾に付けていたけど(当時携帯電話は存在していません)、まさかだいぶ遠距離からかけてくるとは、そしてそもそも用事があるとは思わなかったのだ。

彼女は長い沈黙を続けた。最初は何の用事か聞いていたと思う。それに明確な回答はなかったような記憶がある。CHA-CHAの話題を振っても、中学生活の話を振っても、短い「うん」のような言葉しか返ってこなかった。質問をしてみたけど話がつながるような答えではなかった。私は混乱した。当時、そこそこの時間を話すとまあまあの料金が取られる時代だ。中学の友達と家の電話で長電話をして怒られていた時代だ。用事があるとかごはんだとか、適当な言い訳で電話を切った。母親に、どこの誰からの電話だったのか説明するのに苦労した。

それから時折、彼女から電話がかかってくるようになった。最初は手紙のやり取りって言っていたし手紙にしよう、という私の提案は、無言という反応でないものとなった。かけてくる割には本当に何もしゃべらない。私は虚空に向かって、ひたすらいろいろな話をした。相づちは何回かあったけど、会話のキャッチボールにはならなかった。電話代が大変だからこちらからかけ直すと提案したこともあった。たまに、重い気持ちで電話をすると、お母さんらしき人が出て、明るく取り次いでくれるのだった。私はますます混乱した。取り次がれた先には虚空しかない。ずっと黙っている相手の感情も感想もわからぬまま、私は雑にしゃべり続けた。

そしてある日かかってきた電話で、私は疲れてしまって、黙った。沈黙が続く。それまでの私は空白を埋めて会話をしなければ、と必死だったのだが、今風にいえば心が折れたのだ。手紙にしてほしいという要望は聞き入れられず、時間帯も不定期で、とうとう黙りこくることになった私を家族は心配した。親が「代わろうか?」と提案するくらいだった。30分か1時間か経った後、「何もなかったら、切るね」と告げて、私はそっと受話器を置いた。心底疲れていた。

その後は親が電話に出てくれて、「今はいない」「手が離せない」などで居留守を使った。当時の、今よりもだいぶ純粋だった私は、居留守でさえも重圧に感じた。もはや電話の鳴る音は恐怖につながってしまっていたのだった。

どれくらいの時間が経ったのか、電話は止まった。手紙も届かない。私はほっとしながら少しずつ彼女のことを忘れていくのだが、年始には殴り書きのような年賀状が来た。母親に相談して、返信をしないことにした。それから何年か、年賀状は続いた。彼女の名前は忘れたけど、彼女が当時住んでいたであろう町の名前は今でも覚えている。高校に入ってしばらくして、年賀状は途絶えた。

意図がわからず、自分の意思も通じない相手とのコミュニケーションはそれが初めてだった。それから何年かして、いわゆる「めんどくさいと仲間内から思われてしまっている人」のことを何人かで悪く言うとき、私は悪口に参加できなかった。いい子ぶりたいのではなく、意思の届かない話をすることそのものが苦手になっていたのだった。話しても通じない人の相手になるのがどれだけの恐怖感になるか、そして、いつまた年賀状が届くのかわからない。

今振り返ると、「知らない人と話す」というシチュエーションでこのときの影響がちょいちょい残っているな、と感じることがある。情報は伝えるけど感情は伝えないようにうっかりしてしまう。知らない人と間合いを詰めるのに苦手意識があるのも、おそらく「沈黙の電話」がきっかけなんだと思う。彼女は私より一つ上のはずだった。今も記憶している町にいるのか、何かの事情で町を離れたのか。名前を知らず、恐怖のあまり年賀状をすべて処分したため、手がかりはもう何も残っていない。

たった3ヶ月、事実上の一人暮らしをした

私が一人暮らしをした期間は、人生でたった3ヶ月しかなかった。大阪に引っ越すことが決まって、夫が大阪へ先に転勤し、私が東京の会社を退職するまでの3ヶ月。厳密にいえば一人暮らしではない、ような気がするが、一応一人で淡々と過ごしていた。



当時の家に住んでいた頃に撮った桜の名所の写真。

東京で二人暮らしをしていたところから先に夫が引っ越したので、当然のことながら、一人暮らしにありがちな「寂しさ」はない。むしろ開放感を楽しんでさえいたように思う。夫と食生活をそろえなくていいという事実は意外に影響が大きく、「電子レンジにつっこめばいろいろ煮炊きができる」というレンジ専用器具を買って、夕飯のカロリーを抑えまくってダイエットをするなどした。その合間に、当時勤めていた会社の引き継ぎや退職後の各種手続きの確認、荷物の移動の手配、送別飲み会が入っていて、あっという間に3ヶ月が過ぎていった気がする。


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当時の家がある街の近くで撮った猫。ただし時期はだいぶ後。

抑揚のある一人暮らし期間ではなかったけれど、その後無事家を引き払い、実家にそのまま戻ると通勤がとてもとても大変なのでウィークリーマンションを借りて2週間ほどそこから会社に通った。それも一人暮らしといえば一人暮らしだろうか。備え付けのキッチンなどもあったけど一切使わず、ただニコニコ動画初音ミクの動画を見て、寝る、という生活に徹した。今思えば環境が変わることへの不安との解釈もできるけど、まあそこまで深刻ではなくて、単にそこに適した娯楽がそれくらいしかなかった、という方が正しい。


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大阪に引っ越して4年後の2011年秋に、また東京に住むことになった。物件探しに使える時間が週末の2日間しかなかったため、最初に二人暮らしをした物件を扱っていた不動産屋さんに駆け込み、同じ街の少し違う場所で部屋を借りた。上の猫も、下のバス停も、2回目に住んだ家にまつわる写真である。時代が時代だけに、「3ヶ月一人暮らしをした」部屋の周辺をきちんとしたカメラで撮っておく習慣はなく、いろいろ探してみたけどガラケーの写真をはてなダイアリーにアップロードしているくらい。4年を経て写真という趣味を得たのは大きい。


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JRの混雑がつらくてよくバスに乗って帰っていた。しかしこのバスターミナル、今はもう全く違う景色になってしまった。

たまに夫単独で旅行に行くイベントが発生し、家に一人でいることがあると、ふとあの3ヶ月を思い出す。いろいろ知識や知恵を付けた今だったらもう少し賢く、あちこち飲みに出かけてみたり、何かしらの夜のイベントに行ってみたりしたのかもしれない。当時は本当に何も知らない、ただ神奈川の実家を出てたまたま東京に1年半住みました、というだけの立ち位置だった。周辺にいいお店もあったし、散歩するのに適した場所もあった。はじめて「それらしいちゃんとしたレストラン」を体験したお店もあった。とにかく盛りが半端なく、お腹いっぱいになったところに巨大なカフェオレボウルでカフェオレが出てきて、比喩ではなく目を丸くした記憶がある。

【閉店】メリメロ (merimero) - 新井薬師前/フレンチ [食べログ](閉店しています。残念)

そこはもう、余程の用事がなければ出向かない街になってしまった。東京に戻ってきてから7年が経とうとしているけど、以前住んだ街には一度も行っていない。これから桜が咲いてきっとものすごくきれいになるはずなのに。


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