Really Saying Something

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緊張と、訪れない緩和

いつでもtoyaさんは緊張していますね、という意味のことを複数人に言われたことがあり、自分ではそれが普通であると思っていたのだけど、世間ではそうではないのだ、ということにやっと最近実感を持てるようになった。

振り返ってみれば幼少期からいままでに「心の底からのんびりした」ということが、皆無とまではいかないけど、あんまりない。旅先の場合、いい体験や楽しいことはあってもリラックスすることはなかなかない。モルジブにバカンスに出かけたとしてもリラックスしなさそうな勢いである。寝るときはリラックスするでしょう、とお思いでしょうが、うまく寝られるかどうか、起きたら頭痛に見舞われていないか、かすかにどこかで心配しながら眠る。そう、長いこと眠りは私にとって戦いで、下手すると夢の中で仕事のことを考え、修正点をまとめることさえあり、目が覚めたらメモしておく始末。

ぼーっと歩いていると痴漢に遭うことがあるので(さすがに最近はなくなったと思いきや、エスカレーターで極端に近づかれるケースとか、書店で若者に突然お尻を触られて書店員の人も巻き込んで事務所で問い詰めるとか、いろいろあるのです。もう世間的に立派なおばさんなのでとにかくやめてほしい)、夜は明るさや人通りを都度判断して道を選ぶとか、結構忙しい。家についたら鍵をかけて、考えごとをしていると鍵のかけ忘れが発生するので、指差し確認ののち玄関の灯りを消すなどしている。

こんなにいろいろ大変なのは、自分の注意深さが足りないからであり、きっともっと要領良くやることが可能なのに、そのスキルが自分に備わっていないからである、と考えていることは前にも書いた。そして案外世界はそうではない、と認識し始めたことも書いた。

人生において心安らかな瞬間は少ないかもしれないけど、最近はそこそこなんとかやっていけているのでは?と思ってはいるが、「世界は自分にとって敵であり、やるかやられるかがすべてである」みたいな本来の性質は変わってないのだなーと感じることはある。それは人間不信とほぼイコールなんだろうとも思う。「この人は自分を守ってくれる人(立場)ではないのだ」という瞬間を割といろんな角度から体験していて、常に守ることを要求されると、デフォルトのファイティングポーズはまあそうなるよな、と自分に対して同情する。

長々とよくわからないことを書いているのは、昼間頭痛でちょっと寝すぎてしまって、寝つきがうまくいかない上に、眠る姿勢に入っても身体のあちこちに力が入っていて抜くのが大変なので、その合間に思い浮かんだことを書いてみた、という感じ。