Really Saying Something

雑文系ブログです。

自分を休ませる

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スマート珈琲のフレンチトースト)

最近仕事でちょっとやることが変わったので、それに関連する本を何冊か読んでいました。その中に、「とにかく休め、座れるときは座れ、眠れるときは寝ろ、10分くらい昼寝しろ、それができなかったら横になれ」(こんな雑な書き方ではないです)という内容があり、それは軍隊でも取り入れられている大変効率的な「疲れの回避」なのだ、ということが語られていました。

私は「休む」のがあんまり得意な方ではありませんでした。休みの日に早起きできずどこか焦燥感を抱えながらごろごろするとか、体調を崩しかけたときにとにかくまとまった睡眠を取るとか、偏頭痛が起きてただただ寝ているしかできないとか、そういうことは非常によくあるんですが、本来の意味で休むとは一体何なのか、あんまりぴんときていませんでした。好きなことをしていても疲れるときは疲れるし、やりがいがあることをやっていても疲れるときは疲れる。何もしなければそれは休んでいることと同義なのではないか、なんて思っていました。

実際、若い頃……というと具体的にいつなのかわからないのでちゃんと思い返すと、社会人になって数年、少なくとも20代の頃くらいまでは、どんなことがあっても寝てしまえば翌朝は何とかなっていました。それが30歳を超えるとそうもいかなくなり、具体的には肩こりを覚え、精神的な疲れを感じるようになりました。そのうち仕事、結婚、退職、引っ越し、親族関連など相次ぐ環境の変化についていくのがやっとで、寝ても寝なくても疲れている、なんていう状態にもなりました。でもそれは単純に年齢やライフステージによるものなのかな、という気がしていました。

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カフェ コチのアイスティーとパン2種)

そうこうしているうちに、眠りにつく前にやたらと全身に力が入っていることに気づきました。どうも枕に遠慮(?)して首で頭を支えようとするくせがあるというのには2年くらい前から気づいていたのですが、どうも首だけじゃないぞ、ということを認識したのです。睡眠中は力が抜けているんだろうとは思いますが、朝起きるときにはまた力が入ってしまっているらしく、首筋や肩が疲れた状態で目が覚める。そりゃ疲れる。

自覚してからは「なるべく力を抜く」のを意識するようになりました。寝るとき起きるときはもちろん、気がつけば電車で座っているときも、仕事で机に向かっているときも、なんやかやと力が入っています。常に脱力するのは難しいけれど、せめて座っているのに肩に力入れるのはやめよう、くらいには心がけました。ここまで長いこと続いた習慣なので、そう簡単には変わらないですし、寝る前にやっぱり首からつま先までなぜかあちこち力んでいるのも変わりません自律訓練法ほど系統立てているわけではないですが、体の部位ごとに力を抜く確認をしています)

ついでに、今までお店などに入ったとしても、あんまり「カフェでくつろぐ」みたいなことをしてこなかったのですが、多少かっこわるくても少しだらーんとしたり、姿勢を崩したりしてみました。「普段からちゃんとしていないと外でもちゃんとすることはできない」と母親に教えられて育ったもので、そう都合のいいときだけかっこよく見せるなんてできないとは考えてはいるのですが、1人でいるときくらいはまあいいんじゃないの、と無理にでも思ってみることにしました。

本当はもっと健康的に、定期的な運動をするとか、栄養バランスを考えた食事をとるとか、早寝早起きをするとかすればいいんでしょうけど、残念ながら根がだらしないので、運動は苦手だしやりたくないし、料理は苦手だし、小さい頃から遅寝遅起きしかできない。そんな人が突然明朗快活に健全なる生活を送りまくるのはさすがに無理そうなので、できるところから多少なりとも、くらいで……。

自分だけが気になるクリスマスソング(というよりは聖歌・賛美歌)+1=5選

毎年クリスマスシーズンになると、いろいろなクリスマスソング(っていうか聖歌または賛美歌ですよね)が街角に流れるようになりますね!!!! 「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」などめちゃくちゃ有名な曲はわかるのですが、外で耳にして「あああああこれなんだっけ!!!!」となって、一生懸命脳内でそのフレーズを繰り返しながら、自宅でぐぐって「ああそうだこれだった……」と納得する、という一連の流れにもう疲れきってしまいました。

自分が好きだけどとっさにまったくタイトルが出てこないもの4つと、街で流れていると突然コーラスに参加し始めて夫に不気味がられる曲1つをこの記事にまとめておいて、「これなんだっけ!」ってなったら読み返そうと思います。くまのぬいぐるみと同じ動機でまとめました。誰得かというと本当に自分得なので、もしこの記事をうっかり開いてしまった皆さまは特に曲を再生する必要はありません。それではどうぞ。

もみの木(O Tannenbaum/O Christmas Tree)


荒野の果てに/あめのみつかいの(Les Anges dans nos Campagnes/Angels We Have Heard on High)


おまけ:恋人たちのクリスマス(All I Want For Christmas Is You)

昔語り

昔話です。LINE BLOGにでも書けよという感じのポエムかもしれません。

昔、割と信頼している人に、その時点でどうしても吐露せずにはいられなかったことをちょっとふんわりとした言い方で(若いし強がってたので弱いところをそのまま見せるのが嫌だったんですね、若いねほんと)言ったら、めっちゃさっくり受け流されて、全然違う話を始められて、勝手にがっくりきた、ということがありました。

今の私ならわかる。物事はストレートに言え、わかってもらいたいなんて甘えだ、わかってもらうために説明しろと。

しかし、まあ若さっていうのもあるかもしれないけど、憧れにも似た信頼感を寄せた人が、ちょろっと弱音吐いたときに、へーふーん大変だねそういう話あるよね、で終わられて、自分のの話がスタートして、これどう思う?みたいなことを聞かれても、あんまり気乗りしないわけです。

結局疎遠になって終わるというか、終わるも何もって感じで、しかも今、さも特定のひとりっぽく書いたけど、実は複数人そういう人がいまして。単にそういう人が近くに多かった、だけかもしれないけど。

きっと世の中そういう人ばかりなんだな、自分のことは全部相談せずに自分で解決しなければ、誰にも弱みを見せまい、と思って過ごして時間が経ってみれば、意外と、割とちゃんと人の話を聞いてくれる人が周囲にいる環境になっていました。

もしかしたら単に私が若かっただけだったのかもしれない=今は丸くなったのかもしれない、そして周囲に恵まれたのかもしれない、けど、あのとき(複数回)感じた断絶というか、絶望に近い感情は、今でもはっきり覚えています。

しかし大人になったら、そういう弱みだの何だのは逆に言いづらくなるもので、当時の私の話を誰か聞いてあげてほしかったなぁ、とはちょっとだけ思います。まあ今より数倍は激しい性格をしてたし、今より数倍はコミュ障だったから自業自得なんだろうけどさ。