Really Saying Something

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高いお店に行ってもいいんだ

社会人になった頃から今まで、いわゆる“高いお店”には縁がなかった。服装も雰囲気もそぐわないと思っていたし、味もたぶんよくわからないし、お酒だってあまり飲めない。高い、といっても実勢価格の高さとはあまり連動していない。洋食のお店ならちょっと頼めばまあまあお値段するし、少し価格帯が高めの居酒屋でみんなで飲めばそこそこする。そういうのじゃない、感覚的な“高いお店”。

その反面「ゴチになります!」は結構好きで、こういう素材と料理でこれくらいのお値段なのかー、とか、勝手に価格予想をしたりとか、楽しんでいた(いる)。あのコーナーはお酒が出てこないのでその分気軽なのかもしれない。

先日その「ゴチ」を見ていて、いつものように「これは◯◯円なのか~」と好き勝手に予想していて、はたと気づいた。「私もこういうお店に行っても別にいいのでは?」

行きたいとか食べたいとかそういう欲求には関係なく、単純に「私にはこういうお店に行けない」と思っていたのだった。見えないバリアがはってある感じ。ホテルのラウンジでちょっとお茶を飲むとき、少し高い洋服屋さんに入っているとき、私はとても緊張している。自分はここにいてはいけないと思っている。自分は調和していないと感じる。いてはいけない場所から、早くいてもいい場所に行きたい、と思いながら過ごす。夫は私が過剰に緊張するのを知っていて、「別にどんな恰好でも接客するのがプロ」「その辺歩く恰好なら別に問題ない」と言いはするのだけど、そうはいっても、という感じ。

それがなぜかいきなり「あっ、別に行っても誰にも文句言われないんだ」みたいな気持ちになった。お店に行くためのお金を確保するようにすれば払えないことはないだろうし。恰好はまあちょっと気をつけないといけないかもだけど、イブニングドレスが必要なお店ばかりじゃないだろうし。あとは年齢だろうか。年齢にふさわしい振る舞いを、なんてできるわけじゃないけど、まあ普通にしていれば普通の大人に見えるであろう、くらいには考えられるようになった。

と目からうろこな感覚を得つつ、いきなり“高いお店”に行くことはないだろうし、実際行くとなったら入り口で引き返したくなるだろうなーと思う。