Really Saying Something

雑文系ブログです。

誰かにふと扉を開けてもらう感覚

私が小さい頃はゴールデンタイムにプロレスの放送があって、父親はそれを好んで見ていました。一家にテレビは1台しかない時代です。チャンネル権は明確には定まっておらず、ただ暗黙のうちに、父親がいるときは父親が見たいチャンネルを選択するという行為がありました。そのおかげで、私は興味のないままに流されるプロレスも、平日の朝早くや土日の昼に長々やっているゴルフも、好きにはなれませんでした。唯一理解してついていけたのはプロ野球の中継で、今ではあんまり見かけなくなった「9:24分まで延長」で切りよく終わらなかったときにはイラッとしたものですし、ペナントレースの行方を新聞で気にしていたものです。相撲もなんとか一時期まではついていけていた気がします。千代の富士引退あたりまでは。

ここまで書いてみてたった30年前の風景なのに今はもうないものがてんこ盛りでしたね。佐々木信也さんのプロ野球ニュースとか見てたなぁ。

プロレスといえば三沢光晴のパンツは緑で川田利明のパンツはオレンジ色だ、くらいしか知識のなかった私は、「誰かが痛い目に遭っている」シーンを見るのが苦手なまま大きくなり、あれだけ世間を熱狂させた(らしい)K-1やプロボクシングに関しても「見るのがつらい」という理由で避けてまわっていました。打撃とか殴打とか流血とかが苦手だったのですね。

多少の知識しかない状況で、これまで何も見も聞きもしてこなかったのに、なぜかふと、ほんのりとプロレスへの興味が生まれました。「なんでジャイアント馬場が16文キックをあんなにゆっくりやってる間に逃げるか攻撃するかしないの?」「和泉元彌がプロレスラーになる? なんであれで戦えるの?」「インリン・オブ・ジョイトイがなんでリングで卵産むの? そもそもプロレスと関係なくない?」というくらいプロレスの見方など全く分からなかったし、自分の周りにあるプロレスの情報にも一切心を動かされなかったどころか苦手意識しかなかったくらいだったのに。

そのほんのり生まれたタイミングって、別に誰かがとても情熱的に手を引っ張ってくれたとかではなくて、むしろずっとそこにはあって存在感を発揮していて、その良さをプレゼンしてくれる人がいて、でも興味関心は生まれてこない、という状況で変なタイミングの良さでさっとドアが開いたような感じでした。脳内イメージではたまたま人がいないときに通りすがった新宿のバーニーズニューヨークの入り口でドアマンがさっとドアを開けてくれて、状況から判断して自分のために開いたっぽいけどでも私そっち見てませんでしたよ? なんで? ……という感じですかね。

扉が開いて中が垣間見える状態にはなったとはいえ、扉のずっとずっと手前で「あっ、なんか開いたぞ」くらいな気持ちなのですが、これまでずっと新宿に建ってたのは知ってたけど自分に縁もゆかりもなかったバーニーズニューヨークが突然私と関係あるもののように見えてきた、というのと同じくらいには、これまで全然能動的な興味など持ってこなかったプロレスに対して何かが動いた、のがどうにも衝撃的でした。人間いくつになっても可能性というものは持っているんだな、という気持ちになれました。