Really Saying Something

雑文系ブログです。

なぜうっかりがむしゃらに働いてしまうのか(しまったのか)

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同僚と「普通は30代で体力面などの要因から以前のようには働けないって思うのでは」という話をしていて、うわー私まさにそうだわ、30代の時に体力の衰え(徹夜できないなとか)は感じたけどがむしゃらな感じだったわーと思ったので、なんでそうなったのか振り返ってみる。

働き続けないといけない環境だった

親への仕送り、というのが一番でかいかもしれない。

30代をITベンチャーで過ごしていて、40代以降の働き方を観察する機会がなかった

だいたいみんな同年代かちょっと下で、当時の40代の人でもがんがんばりばり働いていたので、そういうものだと思ってしまった。疑問を差し挟む余地が生まれることはなかった。

単純に仕事というものが好きだった

ワーカホリックの自覚はあります。

ある時点まで体が丈夫だった

風邪引いたり頭痛起こしたりはしょっちゅうだったけど、大病をしないまま大きく(?)なってしまったんですよねぇ……。のちに「心身の疲れが回復しなくなる」という現象を受けてここは「丈夫ではない」に塗り替わることになる。

子供がいなかった

これも大きい要因の一つかなと思います。妊娠・出産・育児と仕事、とはまた別軸の話だし。

自分に合う、と思った仕事と出会ったのが35歳くらいだった

以前「toyaさんの天職では」と言われているのを覚えているくらいには、会社で居場所を見つけたのが遅かった、というのもある。どうしてもある。


これらを経て立派に「気持ちと身体がうまくリンクしないのでがたが来る」を経験するわけなのですが、またそれは別の話に。

目指せ千六本

「迷い」と「決断」、というテーマで何を書くかしばし考えた。考えて思ったことは「私、そんなに人生迷ってないな」ということだった。

常に「決断」しかない。迷うことといえば謎の交通標識に出くわして「いつ進めばいいんだろう」と悩んでクラクションを鳴らされてしまったことくらいしか思い出せなかった。よく「決断するのが仕事」というフレーズがビジネス書に出てくるけど、もし人生が仕事だったら私は相当優秀な方だと思う。人生は仕事じゃないのでそううまくはいかないんだけど。

誰かに何かを相談するのがとても苦手で、それはたぶん生育歴に関連していると思う。私は長女として生まれたが実質長男の役割を担っていて、私以外の家族はほとんど「末っ子体質」だから、私が真っ先に頼られることになる。そうなると親にお伺いを立てることはほぼない。自分で人生ゲームの駒を前に進めるしかない。

20年以上経ってもまだ印象的な出来事として記憶に残っているエピソードがある。運転免許を取る時に、家から通える自動車学校2ヶ所で検討し、誰にも何も言わずに申し込みに行き、費用はお小遣いを貯めたりバイトで稼いだりして工面し、2段階目(当時)で紆余曲折あってやっと免許証を手にして、バイト先で雑談のつもりで話したら、「その自動車学校なら私が通ってたから紹介で少し安くできたのに」とパートの方に残念そうに言われた。私は大変驚いた。自動車学校に通うことをいつどのタイミングで雑談にのせればよかったのだろう。今でもよくわからない。好意は大変うれしかったけど、どう返事してよいのかわからなかった。

高校も、大学も、就職先も、全部自分で決めた。人生でいえば大きなイベントである結婚ですら迷うことはなかった。断るか断らないかの二択を提示された時、私は断らないという決断を即座に下した。all or nothingすぎる。その相手となった夫は「常に殺るか殺られるかのようだ」と私を評したことがある。

そんな私も年を重ねてやっと迷いが生まれるようになった。正確に表現すれば、即座に後悔しない決断をすることが難しくなった。年を取ると選択肢が狭まるとよくいうけれど、私にとっては全く逆で、取りようのある選択肢がじりじり増えていってがんじがらめになっていく。どれを選んでもバッドエンドということがわかっていながら選ばなければならない時もある。さすがにそういう時は迷った。自分の持ち駒の動かし方について夫に意見を聞くようになった。圧倒的成長だ。圧倒的当事者意識だ。

つまりは「決断してばかり」の人生は、当事者意識が薄かったと言えるのかもしれない。どんなに雑に決めても後悔する理由は存在しなかった。人生に参加していなかったのだから当然だ。人生に参加していると自覚して初めて「迷い」が生まれたような気がする。残り何十年かわからないけど、こうして迷い続けていくのだろうか。もっと大根の千六本のようにさくさくと切っていきたいものなのだが。

#「迷い」と「決断」

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「インターネットつまんないなー」と感じたら

だいたいそれは自分の感受性の問題である。というのが数年前からわかってきたことです。

私は異様なまでにはてなブックマークでブックマークをし、Twitterでふぁぼりまくってるのですが、そんな私でも(?)「今日なんとなくつまらない」「流れが止まってる」と感じることがあります。そういう場合は安直に「ネットなんてつまんねー」「くだらないコンテンツばかりだ」と考えがちなのかもしれませんが、「私が望む私だけのネットの世界は存在しない」わけで、その時のアンテナが低まっているだけだということに気づきます。だいたい面白いコンテンツは「その人にとって」面白いものであって、読者ターゲット全員が面白がってくれるものではないですから。
(商用記事ならある程度ターゲットに当てていくのは当然ですが)

そういう時にはまったら、

  1. しばらくネット(特にスマートフォン)から離れる。はてなブックマークからも苦しいけど離れる
  2. 全然興味ないと思っている記事などを無理矢理読む(キュレーション系ニュースアプリで探すのではなく、Twitterでフォローしてない人が流してる記事などがよい)
  3. 新聞社や通信社の記事をそのサイトへ直接読みに行く

……まとめると「一次情報に触れる」になってしまうな。必ずしもそうじゃなくていいと思ってるのですが。

一番手っ取り早いのはネット離れで、それ以外のことをやらざるを得ないので(私はだいたい本を読む)、少し視点が変わって、面白くないとお前が思っているネットの一部は他の人にとっては面白いのだ!!!とまた思い出すきっかけになることが多いです。だいたい本を読むからそれで気になったワードをWikipediaで調べるとかなんですけど……。

なんとなく今朝「つまんない気がする」と思ったので己への鞭として書き置きました。