Really Saying Something

雑文系ブログです。

拡大解釈した上での義理の祖父母の話

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

私の父方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっていた。だから写真数枚と、断片的に語られるエピソードでしか彼らのことを把握できなかった。祖母は大変聡明な人だったらしく、かつ当時は珍しく勤めに出ており、子供5人は事実上義母(私にとっては曽祖母)が育てたという。一度も話したことはないが、会って話したら結構気が合うのではないかと勝手に思った。祖父についてはだいぶぼんやりとしか思い描けない。気性が荒い、いわゆる明治男だった、くらいの話しか覚えていない。

母方の祖父は私が1歳の時に亡くなった。日射病、今でいう熱中症だったそうだ。末娘である母親のことをずいぶんかわいがっていたという。夏は植木屋さん、冬は杜氏だったそうで、杜氏の時の写真から酒造を探して(現存はしていなかった)近そうな銘柄の日本酒を母親にプレゼントしたことがある。母方の祖母は私が4歳の時に亡くなった。4人の祖父母の中で唯一私がきちんと記憶しているのはこの祖母で、同い年のいとこと一緒に手をつないで近くの銭湯に行ったり、近くの八百屋的ななんでも扱うお店(なんと呼ぶのだろう)でヤクルトを買ってもらったり、内風呂で頭からお湯をかけられて私が大泣きしたり(私はお風呂が苦手だったので、母親はいつも顔にお湯がかからないように髪を洗ってくれていた)、と2〜3歳の頃の出来事がまだ頭に残っている。祖母が脳卒中で倒れ、もう長くはないという知らせが届いた時に、夜行列車(たぶんあけぼの)に乗るために上野駅に向かう途中、横須賀線ホームから東京駅に降り立って乗り換えで迷う母親と会話したのはものすごく鮮明に覚えている。当時から湘南新宿ラインができるくらいまでの横須賀線ホームからの乗り換えは、真っ白で何もない通路で何度もエスカレーターに乗らないとできなかった。上野駅にたどり着いて、13番だか14番だか、夜行列車のためのホームで、晩ごはんがまだだったからとそばを食べたような気がするけど、ここだけは別の記憶と混ざっているかもしれない。とりあえず夜行列車は無事青森に着き、母親は祖母を家で少しだけ看病した後、無事に看取ることができた。私はその場にはいなかったはずだけど、何をしていたのかは記憶にない。その後葬式が執り行われ、広いお寺の宴会場のようなところで、祖母の子供である姉妹のうち3人(以前どこかで書いているけどおばの1人は知的障害があるため子供たちを見守る役目だった)は、通夜振る舞いなのかなんなのか、お膳を囲む来訪者にお酌をして回っていた。その風景は、私が成長過程において「宴席で女性だけが甲斐甲斐しく動くこと」を憎む原因となる。ついでに、車で後から駆け付けた父親のお膳から甘えびをもらい、それが美味しくてえびが好きになった。

最後に亡くなったのは、父方の祖父の母親、私から見た曽祖母で、私が10歳のときだった。こちらはあまり記憶に残っていない。というのも父方の親戚たちがいるところは母親とその子供にとっては完全アウェイであり、とにかく息苦しかったからだ。そろそろ危ないとなったときに一度病院に会いに行ったけど、向こうもあまり覚えていない、私も初対面の人、という感じでどうすればいいのか途方に暮れた。今気づいたけど名前も忘れてしまった。

小学校入学時には祖父母が全員いないという環境で、当時は珍しかったために、敬老の日を前に「おじいちゃんおばあちゃんに手紙を書きましょう」というよくあるイベントが発生したときは「いません」と堂々と告げ、担任の先生は困っていた。ご近所のおばあちゃんに宛てて手紙を書くことになり、私は適当なことをでっちあげて、その手紙を持ち帰って捨てた。祖父母が既にいないことや手紙を書く相手がいないことには何の感情も起きなかったけど、しぶしぶ書いた手紙に意味があるとは全く思えなかったのだった。

長らく祖父母のいない人生を送っているせいか、先祖供養という考えがあまり自分の中になく(何しろ墓参りもお盆もほぼやっていないのだ)、世間と折り合いをつけるのめんどくさそうだなと思っていたけど、なんと結婚相手も割と早めに祖父母を亡くしており、さらに親戚づきあいが少なめだったので、世間的プロトコルとしては楽だった。親戚づきあいが多い結婚相手だったらどう振る舞っていいかわからなくて寿命が縮まっていたと思う。

母親の祖父母は互いに再婚同士だったそうだ。母親には同じ父を持つ義理の兄が一人いたそうだけど、1回会ったきりで、さらに早くに亡くなったそうで、私との関わり合いはなかった。祖父母が縁あって再婚したから私は今ここにいるわけで、普段先祖供養のことなど微塵も考えないけれど、祖父母それぞれの前の結婚相手はどんな人だったのだろう、なんてことはたまに考える。全く血のつながりはないけど拡大解釈すれば義理の祖父母といえなくもない。もちろん彼らは私の存在など知る由もないわけで、さらにいえば年齢を考えるとおそらく他界しているはずで、その人たちが結婚生活を続けられなかったのはなぜなんだろう、ということを私が知る方法はもうどこにもない。