Really Saying Something

雑文系ブログです。

夜、外に出る

夜型の生活をしがちな人間なのに、夜にあまり活動しない。

これは単純に「生まれ育った場所が田舎だったから」というのが大きな要因だと思っている。実家は鎌倉市の端っこにあり、しかも山の中腹で、日が沈んで暗くなったら一気に人通りが減る地域だった。

子どもの頃はまだよかった。第二次ベビーブームのちょっと下の世代だったので、公園には子どもたちが多くいたし、住宅建設ラッシュが始まる前であちこちに空き地があり、遊ぶ人は多かった。それでも日が沈めば一気に人の気配は消える。変質者が多くて、夕暮れ時には露出狂が出没する時代でもあった。

夜は怖いものだという意識がすり込まれたまま大人になった。最初に就職した会社はシフト制で、鎌倉から東京まで通っていたので、遅番の担当になれば帰り時間は23時を過ぎる。ぽつんぽつんと立っている街灯を頼りに駅から家へまっすぐ歩いた。寄り道をするような場所はなかった。

子どもの頃は長い夜を布団の中で過ごし、ちょっと大きくなると本を読んで過ごし、そこから10年くらい経ってインターネットと出会い、もっぱらネットに時間を費やしていた。東京に引っ越して交通の便がよくなり、どこにいても終電までには家に帰れる状況になっても、夜に外にいるのはどことなく怖かった。オフ会や飲み会で楽しい時間を共有しても、終わってしまえば一人で暗い道を歩くことになる。

インターネット、特にTwitter(現X)が普及し始めた2007年春頃からはSNSが、日々の活動の場所になった。仕事で大変だったり、遅くなったりしても、ちょっとスマホをのぞけばネットの世界がそこにある。今でこそ可処分時間を切り刻む、断片的になる、なんていう言われ方をするSNSだけど、ちょっとの時間さえあれば見られるものがあるのは純粋に楽しかった。

私にとってのSNSの負の面が多少見られるようになったのは、40歳を過ぎてからだろうか。飲み会などに参加する回数が減ったことで、家ではSNSを見ていれば楽しいものの、まとまった本を読む時間が減っていった。これには「老眼」という抗えない敵が大きく関わっている。Kindleでの読書は文字の大きさは光の加減を変えられるからまだいい方で、紙の本を集中して読むことができなくなってくるのだ。平日などは日がなPCを見て過ごすので18時頃には目が使い物にならなくなる。老眼鏡をいちいちかけることが面倒になる。スマートフォンSNSを見て過ごす方が圧倒的に楽になる。老眼とSNS、実は相性がいいのだ。

コロナ禍で決定的に外に出る時間が減った。コロナ禍に突入する少し前にジムに入会して運動不足を解消しようとしていたものの、流行のすさまじさで恐れおののき、すぐ解約した。朝はともかく夜にジムへ出かけるのはおっくうでもあった。コロナ禍が少し落ち着いた頃にピクミンブルームを始めてはみたものの、家と会社を往復する程度では歩く動機づけにはならない。

コロナ禍をくぐり抜けて(まだ終わったとは言い切れないものの)、私は40代後半になった。運動不足が如実に健康と直結するようになってきている。何かしら運動することを試みて、いちいちやめる言い訳が山のようにできた。それでもやはり身体を何らかの形で動かしていないと、なぜか動けなくなってくる。それがあからさまにわかるようになってきて、私のようなずぼらな者でもできるような運動はないかと考え、いろいろな人に意見を聞き、散歩がいいのではないかという結論になった。

そこで邪魔をしてくるのが「夜、外に出るのが基本的に面倒だ」という問題である。

何しろ散歩というのはハードな運動ではないので、平日を含んで定期的にやらないとあまり意味がない。家と会社の往復ではたいした歩数にはならないから、多少遠いところまで出向く必要がある。今の住処は東京で、多少電車で出歩いたとしても家に帰ってくることはたやすい。いい散歩コースさえ見つけてしまえば……と言いたいところだが、「夜に電車に乗って家じゃない方向に向かう、しかも自分ひとりで」というのは存外にハードルが高かった。子どもの頃、電車を1本乗り逃がすと致命的なダメージを食らう環境にいたので、「電車で家に帰らない」というのが、単純に言えば怖いのだ。

何度も自問自答した。家にいったん帰ってから、家から徒歩20分のchokoZAPに行って運動すればいいのでは?と思った。夜に家から出ようとすることの怖さの方が、徒歩20分の道のりより勝った。近所の商店街を端から端まで歩けば、とも思った。やってみたけどたいした歩数を稼げない。隣町にバスで行って徒歩で帰ってくる? ……夜の人通りの少なさを見てくじけてしまった。

これは、「夜、外に出る」というところから始めないと、だめだ。

夜に外に出ることへの恐怖心は別の趣味にも影響を与えていた。バイク。普通の勤め人がバイクに乗る趣味をやろうとすると、どうしても暗くなってから乗る時間がないとどこにも出かけられない。日の出とともに出かけて日の入りまでに帰ってこられるのが望ましいが、そんなに明るい時間が自由になるとは限らない。夜ちょっと近所をぶらつくために外に出るのも、正直に言えば怖かった。バイクに乗る前段階で自分の恐怖心に負けるのだ。

暗くなってから、かばんに楽しいものをたくさん詰め込んで、まずは近所のコーヒーチェーンに行く。そして夜の時間に無目的で外にいることに慣れる。近所に多少長居をしても許される場所があったのは大変幸運だった。少しのおやつとコーヒーを頼んで、本を読んだり、勉強をしたり、SNSを見たり、ブログを書いたり……という経緯を経て、今この記事を書いている。

まだ活動を始めて日が浅い。最初は周囲の客の意識の高さに辟易したり、時計をひっきりなしに見て「そろそろ帰りたい」と思う気持ちと戦ったりした。家でもできることをわざわざお金を払ってやるのもどうかと思ったが、ここをクリアしないことには、私は気持ちよく夜に家のドアを開けるところまでたどり着けないのだと、やっとわかってきた。

夜、外に出る。これを克服できる環境は幸いにも存在する。せっかく夜型の人間なのだから、夜の時間を能動的に楽しんでいかないと、この先楽しめることが少なくなるかもしれない。夜に、外に出ようと思う。