Really Saying Something

雑文系ブログです。

会いたいのは小学校の校長先生

大人になって振り返ってみればたいそう謎の行動が多かった小学校低学年時代だった。1年生の頃は消しゴムを刻んだり鉛筆をひたすらなくしたり給食の好き嫌いが多すぎて揚げパンをいかにうまく持ち帰るか知恵を絞ったりしていた。2年生になって多少活動的になりコミュニケーション能力が生まれ、担任の先生のおかげでまっとうな小学生の道を進み始めたものの、その先生が産休に入って代理の先生と全くそりが合わずトラブルが多かったように思う。思う、というのは私の記憶に残る部分がそのくらいだったためで、母親に聞いてみればさぞ面倒なエピソードがてんこもりであろう。聞きたくないけど。

その低学年時代、足繁く通ったのが校長室であった。きっかけは忘れてしまった。正面からドアを開けて入るのではなく、校庭に面した窓側から声をかけるか、かけてもらったんだと思う。奇行(今思えば)に走っている児童だという認識があったのかどうかは知らない。当時の校長先生はにこにこと優しく、挨拶したり他愛もないことをしゃべったりして過ごすのが私の楽しみだった。もうよわよわの記憶によれば3年生になった頃おそらく異動して別の小学校に行かれたように思う。(今思えば)学校になじみきれていない、学年で200人以上いる児童のうちのひとりと、よくまあ向き合い続けてくれたものだ。

3年生も4年生もいろいろあって大変ではあったが、奇行度合いは下がっていったはずだ(よわよわ記憶だけど)。当時「不登校」という概念はまだ確立していなかったけど、学校が嫌いなわけではないのに家を離れるのが嫌すぎた私は、たぶんその校長先生がいなかったらもっと奇行に走るか学校に行かなくなるかしていたんじゃないか、という気がする。

転任していった校長先生は、教育委員会に移って、その後定年を迎えられたと記憶している。

そして大学時代にふと先生のことを思い出した。会いに行ってあの頃のお礼を言ってもいいんじゃないのか。別に問い合わせしても何も問題ないんじゃないのか。でも学年で200分の1の児童、全校で1000人を超える規模、となると覚えてはいないんじゃないのか、と考えて自分の中てうやむやにした。

ざっくり計算して私より40歳は上。先延ばしにすればするほどご存命かどうか怪しくなるのに、私はやはり動けなかった。そして今でも動けずにいる。段取りを考えることも電話で問い合わせることもできるはずなのに、私を「小学生の入り口」に立たせてくれた校長先生のことを、ただ遠い存在にし続けたかったのかもしれないし、単なる怠惰の結果行動しなかっただけかもしれない。

そして出会いから35年ほど経つ今、もう無理だろうな、たぶん無理だろうな、と後悔に少しだけ似た追憶を、ごくたまにする。


今週のお題「会いたい人」