Really Saying Something

雑文系ブログです。

V6解散のお知らせから土日があけて(またの名を #V626 への抱負)

※そんなに簡単に割り切れる話じゃないのでまだまだお気持ちは続くよ!お気持ち上等だぜ!

V6本人たちからの解散のお知らせから3日経った。

私が明確に彼らのファンになったと認識したのは、1998年11月に発売された11枚目のシングル「over/EASY SHOW TIME」からなので、ざっくり22年くらい、濃淡はありつつもファンでいるということになる。

人生の約半分を一緒に過ごしておいてそんなにすぐ納得いくかよってなもんである。

少年隊のように、あるいは叶えられなかったSMAPのように、グループを存続しながら個々の活動メインにして、たまーーーに6人そろって、「コンサートやってくれ!!」とファンがその度に請い願う……というルートだってあったと思う。解散じゃなくてそのままでいてくれたら。もうバク転して!とか言わないから。6人が6人でいてくれたら。

しかし、彼らは解散を選んだ。そりゃあ推しが決めたことなのだから尊重せざるを得ないし、尊重しなかったとしても、容赦なくその時はやってくる。

ぐるぐると「そのままでいてくれたら」と「解散しょうがない」を行き来する中で、個人的にキーポイントとなっているのが、去年の11/1、25年ぴったりに行われた25周年記念配信ライブ(トニフィフコン)である。

あんな完全に仕上げられたライブを見せられて、あんなトークの後にあんな真面目な顔になって歌って、踊って、「Full Circle」で円環の理を見せられて、「クリア」があって……って、しょうがないって思うしかないじゃない!あなたも!私も!!

ファンたちみんな円環の理の中に吸い込まれていくことになるんだなきっと。

(思ってないけど)森田剛がV6にいるままで役者やってくれてもいいじゃん、オカダだってV6なのに賞とか取ってたんだよ、なんて言葉は意味をなさない。なぜなら6人の男たち(歌詞に出てくるやつ)が決めたことだから。ひとりじゃなくて。

圧倒的存在感を放つ「6人で決めた」という事実(たぶん、きっと本当のこと)。

SMAP騒動以来、タレント本人の言葉にしか価値はないと痛感しているので、タレント本人の言葉を見ている(ファンクラブ公式の)んだけど、それがまあ苦しい。圧倒的本当。邪推を許さない。今夜は「三宅健のラヂオ」がある。眠くなるだろうけど聴くよ。しょうがないじゃん本人の言葉なんだから。

こんなに隙のないグループだったっけ?アクリルスタンドを水に沈めてきゃっきゃしてたのに?終わり側まで鮮やかなんてずるいと思う。

一緒に乗っかるしかない残り8ヶ月。

今回のことを「旅の終わり」にたとえたtweetを見かけた。確かに25年、楽しい旅だった。旅なのでトラブルも大変なこともあったけど、長く安全な旅で、それが終着点に向かおうとしている。見届けないといけない。旅の終わりを。

なにせ人生の半分一緒だったんだから!