Really Saying Something

雑文系ブログです。

老眼に苦しんでいるところ

主にTwitterで愚痴を書いていたのですが、老眼がしんどいです。

ファミコンスーパーファミコンをめちゃくちゃにやり込んだり、本をあれこれ読んだり、大学に入ってからはインターネットの世界に足を突っ込んで夜な夜な巡回しまくり、font size=8とか9とかの女子っぽいデザインのサイトを読みまくりで、就職してから今まで就労日ベースでは画面と向き合わない日がほとんどない毎日を過ごしてきました。それでも裸眼で視力1.0~1.5をキープし続け(今年の健康診断では気合入れて臨んで両目1.5)、「ものがうまく見えない」ということから完全に開放された状態で40年以上生きてきました。

が。

数年前に「どうもスマホを近くで見ると文字がにじむな?」と感じるようになり、老眼生活がスタートしました。眼鏡も作って、必要な時にかけていました。そうはいっても当初影響があったのはスマホだけで、適切な距離を保てば本も雑誌も普通に読めたので、単なる眼精疲労の影響ではないかと疑ってかかっていました。しかし、じわじわと影響範囲が広がっていきました。スマホはますます見づらくなり(特に夜)、顔からスマホをまあまあ遠ざけないと焦点が合わないところから違和感が大きくなっていき、今では遠ざけていても文字がにじんで読みづらい。文庫本を読み切る前に目が疲れる。雑誌の小さなフォントが読み取りづらくぱっと見で意味をつかむことができなくなった。化粧品の型番の区別がつきづらい、使用上の注意も読みづらい、ましてや原材料の欄をや。コンビニでとっさにカロリー欄を読み取れない。何ワットで何分温めればいいのかわかりづらい。

できないことはどんどん増えていき、「これが老眼ってやつの恐ろしさか……」と思い知らされるようになります。

幸いにして、他の部位(?)はさほどダメージを受けていないこともあり、目の筋肉をほぐすためのストレッチ(眼球を上下左右に動かすなど簡単なもの)をするなど目の健康維持に努めてはみたものの、もともと眼圧が高くて緑内障になりやすいタイプらしいので、あまり目に負担をかけられない。作っためがねはいったんどこかになくすくらい存在感がなかったのに、かけたらきれいにピントが合い、くっきりはっきりPCの文字が見える。

めがねを常に持ち歩くようになりました。かけずに済む日があったとしても、それは長く続かないのです。

スマホをよく……というか毎日……いつも……見ているのですが、スマホで文字を追うのがだんだん苦行になってきました。気が付くと、もともと目が悪かった夫は自然と文字のサイズを大きくしています。デフォルトから変えるのは仕事のことも考えてあんまりやりたくない。かといってめがねを常用するとそれはそれで疲れるということもわかってきました。めがねとマスクを一緒につけるとめがねが曇るとか、顔認証は突破できるとか、めがね生活のあれこれがわかるようにもなりました。

自然と、色数が多いもの、凝ったデザイン、フォントが小さいなどのWebサイト・Webメディアを遠ざけるようになりました。たまに見るYahoo!ニュースのアプリってよくできてるな、と思ったりもしました。大好きなはてなブックマークのアプリ、色数が少なくて助かりました。格好良さよりも実用性!

潔く「私は老眼だ」と思い切れるようになったのは本当につい最近のことです。

仕事で写真を扱っていて、ピントが合っている写真かそうでないかを、自分の目だけでははっきりと区別することができなくなりました。

私用で活字が読めなければめがねをかければよい、化粧品の文字が見えなければスマホのカメラで撮って拡大して見ればよい。でも業務となるとそうはいきません。裸眼だけではもうどうにもならないことを実感しました。持ち歩くようになっためがねは、最初自分の老化の象徴のようであんまり好きではなかったけれど、最近は「仕事のためのツール、そして味方」に変身しました。18時を過ぎると途端に性能が悪くなる裸眼をカバーしてくれる強い味方。

いつもいつもTwitterでぶつぶついっていたのをとめました。もう受け入れるしかないし、治る見込みもない。これから悪くなる一方かもしれないけど、度が合わなくなったら、めがねはまた作り直せばよい。

あえてこのエントリーを書いたのは、ことさらに老眼を敵視していた自分への戒めの意味でもありますが、たまたまミーティングでぽろっと老眼の話が出て、非常に共感したからでした。みんな大変なんじゃん。苦労するのは私だけじゃないし、遅かれ早かれ目は悪くなっていくもの。であれば、この時の自分が何に苦しんだのか、文字にして残しておいて、後から読み返せるようにするのも、年長者の努めなのではないか。ブログに書いておけば誰かが見て、こんな人もいるんだなと思ってもらえるのではないか。そう考えました。

モニタと裸眼の間にものがはさまる暮らしにはまだまだ慣れないけど、めがねをかけた自分の顔はまあまあ気に入っているので、めがねとの付き合い方も工夫していけたらと思っています。